鳴尾の一本松 | 三木けえオフィシャルブログ「実行力。維新」Powered by Ameba

鳴尾の一本松

今朝は阪神鳴尾・武庫川女子大前駅で朝の活動でした。
 
この駅は高架化が実現し、とても綺麗にリニューアルされてます。
 
私の地元中の地元駅です。高校3年生まで、駅から徒歩1分の所に住んでました。ですからやっぱり思い入れの深い駅です。
 
さて、リニューアルされた鳴尾駅の柱にタイル画があり、鳴尾の一本松が描かれています。里中町の一本松公園に(確か)5代目の松があるはずです。昔はよく遊びに行きました。アパートに囲まれた真ん中に松があり、子供心に「なんでこんな所に松があるのかなぁ」と不思議に思ったことを思い出します。
 
鳴尾の一本松とは、昔は松の景勝地として知られ、歌枕や謡曲の題材にもなっていたらしい。
 
民話によると、鳴尾の一本松は「朝日が昇るとその影は須磨の一ノ谷まで届き、夕日が沈む時には京都の天王山や奈良の暗がり峠までその影が届いた」と言われています。どんな背のか高い松や〜笑
 
それだけ天高くそびえている松だったので、旅人は皆その松を目印にして旅をしました。京都の貴族やたくさんの人によって歌に詠まれているそうな。
 
『古事記』の仁徳天皇の章にこの松の話があり、『その樹の影、朝日に当れば、淡路島におよび、夕日に当れば、高安山(大阪府中河内郡)を越えき。』と。やっぱりどんな背の高い松や〜笑
 
『高砂』の謡曲の中でも
 
『高砂や、この浦船に帆を上げて。

この浦船に帆を上げて。
月もろともに、出汐の    波の淡路の 島影や
遠く鳴尾(なるお)の 沖過ぎて
はや住吉(すみのえ)に 着きにけり。

はや住吉(すみのえ)に 着きにけり。』と謳われていたりして、結構有名なんだな。

 

私は個人的には、鳴尾浜でその昔漁師が網を引いたら、網の中に『何か分からないモノ』が入っていて、漁師は訳が分からず、沖合でそのモノを海に返したら、もう少し西の浜でまた漁師の網にそのモノが入っており、流石に漁師もただ事ではないとして、お祀りしたとされている説があります。

 

淡路島の国生みの時に無脳症のような子供がイザナギ・イザナミの最初の子供として生まれて来ますが、その子供を淡路島から流してしまいます。その流されて来た神様が「蛭子」とであり「蛭子大神」として大切に祀られたのでは?と私は個人的に考えていて(きちんと調べたことが無いので真偽のほどは分かりません)今の西宮戎神社に祀られている蛭子大神だと思っています。

 

古事記の話でイザナギ・イザナミの神話から紐解くとすごく時間がかかりますので、ここでは割愛しますが、私は商売繁盛の神様として人々に愛されている恵比寿様が蛭子大神であり、不遇な境遇にも負けない強さや根性を(勝手に)見出しているので、お商売人では無いですが、毎年参拝しています。

 

それから、もう一つ鳴尾浜で、神功皇后の乗られた、朝鮮半島から戦いに勝ち凱旋してきた船が、グルグルと旋回を続け、京都へ帰れなくなった、と言うのも興味深い神話として見聞きしています。

 

その晩、神功皇后の夢枕に天照大神の荒御魂が立ち「私は京都の御所には帰らない、この地に祀るように」とのことで、それが今の廣田神社であったと言われています。

 

なので、和御霊は第一の分霊は伊勢神宮、荒御魂の第一の分霊は廣田神社。

 

廣田神社はとても格式の高い神社であり、京都から見て神祇官がやって来る西の限度が廣田神社であった為に『西宮』と呼ばれるようになったとか。

 

すごーーーい!

 

それともう一つは、鳴尾八幡神社です。八幡神社の御祭神の一神は神功皇后なので、やはり上鳴尾に鳴尾八幡神社があることに納得してしまうのです。

 

やや足早に書いてしまいましたので、間違いもあるとは思うのですが、(もっと詳しく書こうと思えば書けるのですがブログ3日分くらいになりそうなので、それはまた機会があれば書くことにします)大体私の考えている鳴尾にまつわる神様についてはこんな感じです。

 

皆様も、もし阪神鳴尾・武庫川女子大前駅に来ることがあったら、この柱を見てみて下さいね!

やはりかなり大きな松として描かれていますね。

 

長〜い駅名に変更になって、これはまだ慣れません。(以前は単純に鳴尾駅でした)

 

では皆さま、また明日!