言霊 | 三木けえオフィシャルブログ「実行力。維新」Powered by Ameba

言霊

 言葉って大切ですね。何気なく話したことが相手に対して思いやりのない言葉になっていたり、相手を傷つけたり。私も反省しきりです。選挙期間中、気をつけていたつもりですが、あまりのハードスケジュールに頭がぼーっとしていて細かいことまで気配りできていたでしょうか?

 いつも私の傍に居てくれる人に改めてここで感謝の気持ちを表したいと思います。「ありがとうございます。」


 さて…言葉といえば、突然ですが、私はあまり神道などを詳しく本格的に勉強したことはないのですが、言霊について自分なりに思うことがあるので、書いてみます。

 その道に詳しい方が読まれたら、何を馬鹿なことを、と思われるかもしれませんが、ご容赦下さい。


 日本というのは言霊(ことだま)の国であるというのはよく言われることでありますが、日本語についてよく思いを馳せてみると、なるほど思い当たることが数え切れないほどございます。

 同じ音であるが違う漢字を使い、その都度、本質は同じだが違う実相を表す、ということが日本ではよくあると思います。

 例えば、「みこと」という音は御言(みこと)であり、命(みこと)であります。「何々の命」とは神様のお名前で、言葉は神(かみ)であり、言葉は命(いのち)である。命(いのち)の中にこそ神はあり、一つの命の中に神がおわしますということが端的に表されていると私は思うのです。


 そのことをキリスト教では「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき。」と記され、弘法大師は「声字即実相(しょうじそくじっそう)」と言われた。声字即実相とは、事物の本質即ち実相は声や字つまり言葉である、言葉に表現し文字に表したものは、それは実際に現れる(実相)ということであると思います。


 その真理を日本語は一言で端的に表すことが可能である、日本語は古事記、日本書紀の昔からそいういった不思議な力を秘めた言語なので、私達日本人は言葉を発する時、美しい日本語を慎重に選ばなければならないのです。


 世界中でその国の古典を、現在使用している言葉で読めるのは、日本だけだと言われています。日本でも常用漢字から次第に画数の多い難しい漢字が省かれていっているので、段々と現代人は古文が読めなくなってしまっているけれど、それでも日本最古の書、古事記を振り仮名を振れば読むことができます。日本人が当たり前のように思っていることが、実は諸外国では当たり前ではないのです。それは日本が万世一系の皇室を戴いているということの素晴らしさなのですが、どれだけの日本人が今そのことに気付いているのでしょうか。


 そしてどうしてこの日本語の配列がこの意味を持っているのか、と考えるとその五十音の一つ一つに意味があって、一つ一つの言葉が形成されていると分かった時、古代日本人の感性(言い換えれば霊感)の素晴らしさに驚きます。

 到底一度には書ききれないので、また続きは後日に。

 それでは皆様夜も更けてしまいました。また明日も元気に頑張ります。