なんと先日、行動援護人であるこのオレが、とてもめずらしいことにCMのナレーションの仕事をして来た。ある有名企業の商品のTVやWEBで流れるものだが、コンプライアンスという縛りもあって何のCMかは言えない。もしかしたらTVでももう流れているかも知れない。なにしろ近頃オレはあんまりテレビを見なくなっているので。WEBではもう見た。冬中流れるとか…。

思えばCMのナレーションなんて、かつて長きに渡り所属していたプロダクションを退所して以来だから、もう十数年ぶりにやったことになる。オファーが来た時「オレでいいの?!」って思ったが、やるとなったら自分でもすごく楽しみになりワクワク収録の日を待っていた。キャスティングにオレの声を推してくれた今回のエージェントである古い知人の気持ちに報いるためにもベストを尽くそうと…。

しかしオレの声のサンプルはもう十数年前のもの。よくまだそんなの持っていてオレを推してくれたもんだと思う。オレ自身も声をよく当時と同じように出せて、感覚的にも同じように仕事が出来たもんだが…。

もしかしたら収録のシステムや要領、スタジオの雰囲気など、ずいぶん変わっているのかも知れないとちょっと不安もあったが、行ってみたらほとんど昔と変わっておらず、必要な緊張感だけで収録に臨むことが出来、2時間弱の仕事を楽しむことが出来た。

スタジオは東京・青山だった。40年ほど前の上京当時、毎日のように外苑前にあった演劇スタジオに通った懐かしい、大好きだった街だ。しかし今は、なんか空気感が違う。これだけ時が経てば当然と言えば当然だが、街並みも店も変わった。ベルコモンズももうない。同じ雑踏でも、何だろう…質が違う。歩いていても楽しくない。収録が済んだら外苑前から青山通りを表参道まで歩いて地下鉄銀座線に乗り、早々に帰ることにした。

街はまるで生き物のようにどんどんその姿を変えていく。昔住んでいた北新宿・中野坂上あたりなどすっかりビルが建ち並び、当時の面影はないだろう。じゃあオレは…? オレとて生き物だから、そりゃ数十年も経てば諸行無常に従って多少なりとも使わせてもらっている肉体の見かけは変わるだろうが、心と言うか気持ちと言うか中身と言うか、ものの考え方や生き方はそれほど変わっていない気がしてならない。

オレはスタントマン・斬られ役から始まって、役者、声優、CMなどのナレーター…、そのようなことを過去にやって来たが、そのどれにしてもオレというのは何かモノ(作品)を作るためのひとつの「素材」だったと思っている。素材としてさすがにもう体を使うアクションなどは出来ないが、この声が使えるのなら、求められればまたそのモノ作りには参加したいと思っている。まァだからと言って簡単に出来ることではないし甘くもないが、今回のようなことがあるとそのための備えをしないといけない。そういう流れになる。できる限りいい流れで生きて行きたい。