里親さんから、犬が急に調子が悪くなって病院に行ったという連絡を受けました。
意識のない中、里親さんの呼びかけには反応し、
一時は持ち直すも、亡くなってしまいました。
年齢も、中年ではあるがまだまだこれからというところ。
前日は普段通りお散歩もしてご飯も食べて病気の予兆も全く無く。
譲渡されて、約3ヶ月。
やっと「普段通り」という言葉が普通になってきた頃であっただろうと思います。
里親さんは、深く深くご理解してくださっていて、
短くとも一緒に過ごせてよかったとおっしゃってくださいました。
家族として迎えてくださって、
そして見送ってくださいましてどうもありがとうございました。
今お山には要介護の老犬が一匹。
シリンジで、薄く薄く溶いた流動食を日に何度も与えています。
薄くしないと喉につまるのか嫌がるのです。
それも、ゆっくりゆっくり、こぼしつつ休みつつ、
なでたり喉を触ったりして刺激を与えながら飲ませます。
一週間は前から、固形物はもう口にできていません。
外へ出る用事が多く、隣でずっと様子を看ているわけにはいきません。
見る度、帰る度に「まだ生きている」と確認し、安堵します。
犬たちと過ごす毎日で、
命がひどく儚いものの様に感じたり、
同時に力強いものに感じます。
どちらなのかというと、
どちらでもあるのだと思います。
どちらだとしても、
「守らなければならない命」であることは確かです。
それはただ深い理由もなく「人として」
今の時代、犬たちが勝手に生まれて勝手に生きているのでは無いからです。
ふと、
「生まれる」と「生きる」は、同じ字なんだと、
書きながら思いました。
当たり前の事ですが。
生まれたら生きるのが、当たり前なはずなんだ。と。
犬たちは最期まで、
力強く、生きようとしています。
理由は、生まれてきたから。
動物たちの生き死にを間近に感じ、
いろいろと考えていましたら
ちょっとよくわからない収集のつかない文章になってしまいました。
これだけは、と強く言えることは、
犬たちと過ごしていると余計に、
守ることと生き抜かせてあげることが、
当たり前のことなんだなと思います。
里親さんや、ご支援ご協力くださっている皆様、
お手伝いや預かりさん、
何年も前から保護活動をされている全ての皆様に、感謝。