妥協(だきょう) | 二文字熟語

二文字熟語

漢字の中には、その文字を超越した深い意味思いが込められていることが多くあります。日頃何気なく読んでいる数々の言葉の中に、脈々と流れている日本精神を読みとろうと努めてみませんか。とても、興味深い事実に気がつくはずです。

タロット:正義勇者
 今日は、妥協(だきょう)という言葉です。

 物事の正否は、ある価値判断によって行われますが、この価値判断。実は、人によっても、時代によっても、国によっても、大きく異なることがあります。例えば、普遍的な価値判断がありそうな“正義”という言葉でも、日本の場合、道理に適った正しいこと全般を意味します。これは、民主主義国家である日本の正義です。ところが、思想、信条が異なれば、正義の内容は異なり、思想、信条の数だけ「正義」が存在します。中国のような共産主義国家における正義は、中国共産党そのものが正義です。ここでは、“正義”に関わる思想・哲学が存在しません。状況が異なる中で、それぞれの正義を主張しあった時、どこで折り合いをつけるのか。これが妥協(だきょう)という事です。自分だけの主義主張を押し通すことができれば、これほど簡単な事はありませんが、やはり妥協(だきょう)できる事がないのか、価値観の調整ということが必要になります。

 さて、妥協(だきょう)ですが、妥(だ)とは、安んずる、お互いに折れ合うetc.という意味です。協(きょう)とは、力を合わす、調子があう、和合する、相談をして一致するetc.の意味があります。従って、妥協(だきょう)とは、お互いに譲り合う部分、譲れない部分を確認しながら、一定の内容で、不満を残しながらも合意することです。大人の判断とでもいうのでしょうか。

仲良し仲良し
 “妥協の産物”という言葉がありますが、まさに主張の対立の先の回答として、中間の結論をさぐって導き出された結論の事でしょう。あるHPの相談欄で、妥協の産物とは?という質問に対して、真剣に討論しないで簡単に妥協した結果を蔑み、又は後悔して言う言葉....という回答がありましたが、私は若干異論があります。真剣に議論をしない・・といった枕詞がついていますが、世の中には、価値観の違いからどうしても折り合いがつかない、いくら議論しても並行線という場面は山ほどあります。ですから、妥協の産物とは、真剣に議論を重ねた結果の、双方にとっての苦肉の解決策だと私は思います。皆様は、どう考えますか?