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こちら地球の代々木より宇宙へ

VASALLO CRAB 75、カナリヤ、ロウミン&バニーボーイと3つのバンドやユニットで活動するミュージシャン・クドウダイスケの地球での活動報告。

 ~続き~

いよいよその橋を渡り、車で街の中心部に入って行く。
山と山の間に広がる平野に、360度ただただ廃墟が広がっている。
行けども行けども街が完全に壊滅している光景はとても信じがたいものであった。


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朝6時頃、ボランティアセンターに着いて仮眠をとった。
ボランティアセンターは復興の拠点となっている場所で、自衛隊の様々な特殊車両が多数あったり、ボランティア集団のテントなどが多数設営されていたりして、たくさんの人々の力で復興が今まさに進められているのだと実感した。
人間の大いなるエネルギーの集まりを感じた。

その後、今回我々が訪れる目的地である歌津中学校という避難所へ向かった。
そこは高台にあり、津波の被害を免れている場所だ。
その学校の体育館で200人程の家を失った人々が、生活している。
数メートル下は瓦礫の山になっていて、本当に何メートルかの差で生死を分けているのだという事がわかる。

避難所について、まず職員の方と会って支援物資を運び込む。
水だとか、洗剤だとかは物資の保管場所にそのまま置けば良かったが、Tシャツや下着、靴下、お酒などは被災者の方々に直接手渡すよう言われた。
市長さんに挨拶をした後、市長さんが被災者の前で僕たちを紹介してくれた。
その後、被災者の方々に順番に物資を手渡していこうとしたが、想定外のことで僕らの段取りがうまく出来てなかったのもあり、順番を待たずに取りに来てしま う人がいたりとかでうまく公平に配るのが難しかった。喜んでくれる人も多かったが、全ての人に行き渡らない物なども出てしまい、不公平だと文句を言われた りもした。被災者の方に聞いた話では、共同生活でみんなストレスもたまって来ており、人間関係的にいろいろ難しい面も多々あるとの事だった。「あっちの人 は二枚も三枚もひとりで取っていたよ」とか「ずるい人が得して、ちゃんと最後まで待っていた人が損をした」などと言われたりもして辛かった。申し訳ない気 持ちになり、自分のやっている事は意味のない事だったのかと、一瞬自責の念に引きずられそうになった時、車の中で話した事を思い出した。

「やらせてもらってる」

そうだ俺たちはやらせてもらってるんだ。
初めてでうまくいかない面があるのもしょうがない。
みんなを喜ばせられなかったとしてもしょうがない。
俺たちは自分の考えで一生懸命やってるんだ。
その善し悪しの判断は他の方々がすれば良い。
失敗は次回に活かすべきだが、自信を持ってやる。
後悔はしない。
そう思ったら少し強くなれた。

その後、児童支援団体として子供たちにオモチャや遊び道具などをプレゼントして、子供たちと触れ合いの時間を持つ事が出来た。
子供たちとボールを蹴ったり、オセロをやったりした。
俺は正直、あまり子供とワイワイするのは苦手なんだけど。
子供たちに心を開こうとしてみたが、どこかぎこちなさを感じていた。

そしていちかばちかの想いで、ギターを手にして子供たちの前で歌を歌ってみた。
すると自分の中でも、外でも全てが変わった。
その時やっと子供たちと何かつながる感覚を持てた。
音楽好きの高校一年生の男の子が、ずっと俺の歌を目を輝かせながらすぐ横で聞いている。
小学生の女の子が俺の持って来た歌本を見ながら、これ歌ってあれ歌ってとせがんでくる。

子供たちは音楽を聞いて、上手とか下手とか、良いとか悪いとか何も言わなかった。
ただ次々と歌をリクエストしてくるんだ、笑顔で。
俺が一番の歌詞を歌ってやめようとしたら、二番も歌ってと言ってくるんだ。

きっと音楽って、あるとそれだけで楽しいものなんだな。
また俺にとっても、音楽は一番良いコミュニケーション手段なんだな。
俺の中では会話とかよりも、人とうまくつながれるツールになってしまっているんだと思った。


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そしてそんな楽しいひとときは終わりの時刻を告げていた。
もう俺たちは帰らなければいけないという時に、ちょうど東京から来たという女性シンガーの方が、その体育館にやって来た。
PAシステムやスピーカーを持ち込んで、その体育館で1時間程度のコンサートをするという事だった。
俺はその人と少し話をしたが、南三陸町には今までも何度か来てコンサートをやっていて、今回は気仙沼など数カ所の被災地を巡ってコンサートをする予定だとの事。
俺の活動よりもミュージシャン然とした活動で、うらやましくもあったけど、何か俺は普通に対等に堂々と話せた気がした。レベルや内容に差こそあれ、彼女の やっている事も素晴らしいし、自分のやってる事も悪くないなと思っていたから臆する事は何もなかった。お互いの健闘を誓って別れたよ。
彼女の歌声を聞く事は出来なかったが、きっと人々に何かを伝えられる素晴らしいコンサートをしたのではないかな。

子供たちとの別れ際に、子供たちが「またくる?次はいつくる?」と行って抱きついて来た。
きっと子供たちもたくさん哀しみを抱えているんだと思う。それでも笑っているんだ。

そういえばギターに興味があるという高校生に歌本やピックをあげたんだけど、ギターが無きゃ練習もできないだろうから、今度はギターでも買って持って行ってプレゼントしようかな。
彼等が歌う歌をいつか聞いてみたいからね。

ちなみにこの日、俺は子供たちに「希望の歌」を歌ったよ。
この歌詞は俺にとって、本当に特別な意味のあるものになった。

南三陸町のみんな本当にありがとう。
そして被災者の皆様が一日も早く普通の生活が取り戻せますように。


こちら地球の代々木より宇宙へ photo by RYU


「希望の歌」

静寂の中に聴こえる哀しみと
夜空に瞬くあの星よ
ただ今だけは
みつめていよう君の心を
かけがえのないその瞳を

人々の手から手へと温もりが
伝えられるように
僕たちもこの山々に響かせよう
その歌声を
捧ぐ君の笑顔へと

さあ今は目を閉じて
聴くが良いだろうこの哀しみの歌を
たけどもいつか
君が僕に歌ってくれる日を待ってる
雨上がりの空に
こだまする希望の歌を

被災地に行って来たよ。

今回行ったのは南三陸町という場所で、被災地の中でも被害が大きく、今でこそ道路や仮設の橋が作られ人も行き来できるようになったが、震災後5日間は自衛隊すら入れなかったという場所だ。

今回参加したのは、知人の芹澤順という、俺が心から信頼を寄せている男が主催する「Present For Children」というボランティア団体。主に児童支援を目的として活動をしているグループだ。

俺がその芹澤くんと震災後にたまたま会って、俺の想いを彼に話したとき、「じゃあ俺が全部企画するんで一緒に行きましょう」って言ってくれて、今回の被災地支援活動を全て組んでくれた。
そして彼と彼の仲間数人と俺とで被災地へ向かったわけだ。

夜の東京を出発して、車で約7時間程の道のり。
車中で熱い話をたくさんした。

仲間の一人が、
「自分が本当に被災者の役にどれだけたてるのか、本当に喜んでもらえるのか不安もある」
という事を言った時に、芹澤くんが言った言葉が俺の心をとても揺さぶった。

「ボランティアの基本ってのは、『してあげる』んじゃなくて『やらせてもらう』なんだよ。自分のために、人 に何かをやらせてもらうって事なんだ。実際、何をすれば人に本当に喜んでもらえるかなんてわかんねえよ。自分がやりたいと思った事をやらせてもらう。そ れで良いんだよ。相手も人間なんだ。嫌なら離れて行くし、良ければ近付いてくれる。もし何やって良いかわかんなきゃそこに行って、『とりあえず来ました! 俺なんでもやりますから、何やれば良いですか?』って聞けば良いんだよ。してあげるんじゃなくて、やらせてもらう。それによって自分も成長させてもらえた り、貴重な経験をさせてもらえるものがボランティアなんだよ。」

この話を聞いて、俺の中にも少しくすぶっていた不安が消えて行ったように思う。

まだ真っ暗な朝4時頃、ついに「南三陸町」の看板が出てきた。
そしてある地点を境に、車のヘッドライトが照らす景色が全く変わった。
道路脇に転がる電柱や、逆さまの船、ぐにゃぐにゃに曲がったガードレール、そんな非日常的なものが暗闇の中から次々と現れては消えて行く。ライ トに照らされているのはほんの一部に過ぎない。果てしなく広がる暗闇の向こうにはどんな地獄の光景があるのだろうか。俺は何とも言えない恐怖を 感じた。

南三陸町の中心地に入る橋にさしかかったところで、警備員にとめられた。
中心地は夜は閉鎖されていて、5時にならないと入れないという事だった。
ひとまず道路脇の瓦礫の合間に車をとめ、しばしそこで時を過ごした。

徐々に朝の光が降りて来て、段々とその姿を現す瓦礫の街は、まるで映画のセットのような完全なる廃墟。
全てが粉々に砕け散った絶望と哀しみの街の跡が、ただただ広がっていく。

車を降りて瓦礫の中を歩いた。
あまりに全てが壊れ果てているので、何と言っていいか。。。頭や心は理解不能の状態で言葉が出ない。
悲しいとか怒りだとか恐怖だとかそういうはっきりした感情は無い。
ただ初めて踏み入れる光景を眺めて、脳がそれを理解しようとつとめている。


こちら地球の代々木より宇宙へ photo by RYU


耳を澄ますと海の音が聴こえた。
そちらに向かって歩いて行くと、目の前にゆらゆらと揺れながら、まるで穏やかなふりをした海が広がっていた。
この海が全てを壊したのだと思うと、恐怖やら憎しみやらを一瞬感じたが、しばらく眺めていると、何故かすっと消えていってしまった。

これが自然なのだ。

人類が作ったものなど、あっという間に恐ろしい力で全て破壊する事すら出来るんだ。

僕たちは自然と自然の間に生かされている。

ある被災地の学校の卒業式をテレビで見た時に、その生徒が言っていた言葉で「天を憎まず、自然とともに生きて行く事が、残された僕たちの使命だと思います」と力強く宣言していたのを思い出す。
何てすごい言葉なんだろう。

さあ辺りは明るくなってきた。
車に乗り込みまた出発だ。

   ~続く~
今日は久しぶりの VASALLO CRAB 75 のライブだった。

とても自分個人としても意義のある、大きな気持ちの変化が表れたライブだったと思う。

今まで俺は音楽が大好きだから音楽をやってきた。
でも今はその大好きな音楽を通じて、その先に何か意味のある事が出来たらなと思い始めている。
そういう意味で俺はやっと一歩自分の殻を抜け出せたのだと思う。

音楽で人々の不安を忘れさせたり、希望を与えるきっかけになったり。
音楽にはこの不安な毎日に何か役立てる力がきっとあるはず。

昔うちの母親が言っていたのを思い出す。
幸せとは何かという話をしていた時、「それは他人の役にたった時だ」と母は言った。
当時は何て浮き世離れした感覚で、献身的な考えなんだろうと思った。
自分とは全く違うと思ったし、本気だとは思えなかった。

だが今はその意味がようやくわかる気がする。
いやきっと特別な事ではなく大多数の人が気付かないだけで、本質はそうなのだ。
結局、みんな自分の為に生きているんだ。
だが、その自分が本当に喜びを得られるのは他人の役にたった時なのだ。
他人が喜んでくれるから嬉しいんだ。

俺は今回の震災を経て、他人の、特に被災者の方々や、哀しみや不安、苦労を背負っている人々に少しでも力になりたいと心から感じている。
この気持ちこそが、俺が音楽をやる上で俺に音楽を意味あるものとするものなのだ。
それは確かに自己満足かもしれない。
でもそれで良い。
何か意味ある事をするんだ。

来週末には被災地にボランティアに行く。
そこでボランティアの合間に歌でも歌えたら良いなと思って、一応ギターを持って行くつもり。
今日歌った「希望の歌」はその被災地で歌う事を思い描いて書いた曲なんだ。
ただ被災地だけではなく、不安や哀しみを持った人々にも希望を与えられるような、そんな曲にしたかった。
だから今日どうしても歌いたかったんだ。