気がつけば今日から6月。

今回の頸部に対する放射線治療はここが折り返し地点です。

 

免疫チェックポイント阻害薬による治療は今回同時進行で、5月最後の金曜日は放射線治療後に化学療法室での治療がありました。

 

覚悟はしていたものの、副作用は治療を重ねるごとに重くなっていきます。

 

倦怠感。

本人も言いますが、特にこの週末一気に体力が落ちてしまっています。

今回、化学療法室での血圧が低めだったので生理食塩水も免疫チェックポイント阻害薬と同時に点滴してもらいました。

 

そして痛み。

喉と口の中が焼けるように痛むそうです。

痛み止めのメサドン、ヒドロモルフォンの量も緩和ケア医の指導の元調整してもらっていますが、痛みは続きます。

首の皮膚も保湿クリームで予防はしていますが、赤みが増して来ています。

 

身体的にはとてもしんどそうですが、先週はとても嬉しい知らせもありました。

 

Red River Exibition Creative Competitionsという🇨🇦マニトバ州の大きな写真コンテストで夫が入賞したのです。

 

 

 

 

地元や旅行先などで以前に撮りためていたたくさんの写真の中から数点、放射線治療前に応募してました。

 

夫の作品は

白黒部門で1,2,3位

カラー部門では2位

総合得点で1位という結果!!

表彰式の案内メールが届きました。

 

式は6月17日。

放射線治療最終日から5日目です。

もしかすると一番身体がしんどい頃かもしれないけど、元気に出席してほしいと思います。

 

今までのブログでは病気のことばかりフォーカスしていましたが、夫はあらゆる方面で才能豊かな人です。

今回入賞した写真アートだけではなく、元気な頃は仕事が終わればファーミング、DIY、そして格闘技に勤しんでいました。

今回の放射線治療と免疫チェックポイント阻害薬のダブルパンチで病気がコントロールされてまた毎日時間が足りないくらい忙しく色々な活動ができるよう願っています。

 

一年前の2024年5月7日。

夫の生検の日。

 

日帰りの検査の予定で夫はウィニペグに前泊。

私は地元に残り通常通り仕事に向かいました。

手術室に向かう前に電話をくれた夫。

検査が終わったあと夕方の便で帰って来る予定だったので空港でのお迎えの時間の確認なんかをして、検査が終わったら知らせてね。と電話を切りました。

 

その電話をくれたのを最後に、夫はその後通常通りの発話ができなくなってしまいます。

 

その日の午後1時半ころ。

病院からの着信がありました。

検査が終わったお知らせかなと思い電話に出ると、頭頸部外科のドクターで腫瘍の位置と大きさのせいで気管切開をしないと検査を進められないとの説明でした。

CT画像検査のときから腫瘍は増大していたようです。

思考が追いつかず、何を質問したらいいのかと固まっていると、医師は状況説明を続けてくれました。

本人は意識もあって今のこの状況を十分理解できている。

家族にも状況を知ってもらいたくて、プロセスを進める前に電話した、とのこと。

 

「話ができなくなるのですか」

「気管切開の穴は一生そのままなのですか」

「本人の様子はどうですか。」

 

手術の合間だったはずなのに医師は丁寧に質問に答えてくれました。

 

「どうか、どうか夫のことをよろしくお願いします。大好きだって伝えてください」

そして、思いつく限りのお礼のことばを述べて電話を切りました。

 

手術室に戻ったドクターは、手術を進める前に私がどれくらい夫を大切に思っているかを本人に伝えてくれたそうです。後に夫から聞きました。

 

午後3時45分

手術室のナースから電話があり、今無事に検査が終わり夫はリカバリールームにいるとの連絡。

そしてその数分後ドクターが再び電話をくれて、夫の様子、今回の手術の詳しいプロセス、今後の見通しについて説明を受けました。

遠くにいて心配している気持ちを汲んでくれていたのだと思います。

安心することばをいくつも並べてくれたのを覚えています。

 

生活が大きく変わってしまったこの日から夫はしばらく入院することになります。

 

会話はしばらく筆談。

PEGチューブからの食事。

ウィニペグへの引っ越しを決めたのもこの入院中。

 

約3週間の入院でしたが、この間に生検の結果は聞けませんでした。

一般的と言われる扁平上皮癌ではないことが分かったが腫瘍が悪性であるということ以外詳しい病名はわからないまま5月の末に退院し不安な日々を過ごすことになります。

 

あっという間の一年でした。

あっという間とはいえ、長い長いトンネルを家族で走り続けてきた一年。

光が見えそうかなと思うとまた暗闇の方へと進路が変わったり、もう出口が見えないのかなと思うと別の道が開けたり。

 

明日から頸部への放射線治療再開です。

体力の消耗や強い痛みが出ることは前回の経験から分かっていて不安ですが、

前回同様、腫瘍縮小に劇的効果があってまた会話や食事を楽しめるようになりますように。

 

庭の梅の花が少しずつ花開き始めました。

あと1週間もすると満開かな。過ごしやすい良い季節です。

これからの心地よい季節を夫と一緒に楽しめたら良いな。

 

 

2025年4月

なんだかあっという間に過ぎてしまいました。

 

4月1日 CT検査

4月6日 (腫瘍増大のため)再び発声ができなくなる

4月12日 呼吸が困難になりERへ。CT検査のレポートを受け取る

4月15日 腫瘍内科によるCTレポート解釈と今後の治療方針の説明

4月16日 ペインクリニック 

4月17日 腫瘍放射線科

4月18日 維持療法キイトルーダ10回目

4月23日 ペインクリニックのフォローアップ

4月25日 放射線治療に向けてのシミュレーション(マスク型作成)

 

放射線治療は5月15日から。

平日20回続きます。

肺は所見が多数あり照射は不可なのでターゲットは喉に対して、緩和的照射と言われています。

 

診察時、緩和的 (Palliative) という単語をよく聞くようになりました。

各方面に提出するための病気に係る書類には Terminal (末期)と記載されます。

これらの言葉を聞くたびに心がずしんと重くなってしまいます。

 

 診察してくれるどの医師も Palliatie = 死が差し迫っているという意味ではないと言います。

心強いことに、医療チームも諦めずに一緒に闘ってくれている。

ただ、病気が分かった当時に頭頸部外科医が言ってくれた Cure を目指そう、ということばは転移発覚後全く聞くことがなくなってしまいました。

少しでも希望が持てることばが聞きたい。

きっと医師たちもそんな患者の気持ちを十分に分かっていて、だけどそれを言わないのは誠実に対応してくれているからなんだろうな。

 

不安だけが募ります。

本人の心の中は私が想像できる何百倍も、何千倍も、何万倍も、それよりもっともっと私の不安な気持ちなんて比べ物にならないと思うと胸が押しつぶされそうな気持ちになります。

 

私は医師ではないのでアクセスできる文献は限られているけど、放射線治療と免疫チェックポイント阻害薬が功を奏する場合もあるようです。

夫もそれに倣ってチャンピオンケースになってくれますように、と毎日毎日祈っています。