早いもので、金曜日で夫の四十九日を迎えます。

まだまだ寂しいし、涙を流さない日はありません。

だけど、少しずつ前に進んでいます。

 

SNSでは「砂糖を取らなければがんは治る」「抗がん剤治療は受けるな」といった情報をよく目にしますが、大変胸が痛みます。

夫は生活習慣に人一倍気をつけていました。

それでも彼が罹患し戦ったのは、驚くほど進行の早い稀少ながん

横紋筋肉腫・多形型でした。

 

がんの多様性とメカニズム

夫が病気になったのをきっかけに勉強し知ったのですが、一言で「がん」と言っても、実は何百種類もあります。
それぞれ性質が違い、効く治療法も異なります。

  • 抗がん剤が効くタイプ

  • 放射線治療が有効なタイプ

  • ホルモン治療が中心になるタイプ

  • 免疫治療に反応するタイプ

メカニズムも一様ではありません。

  • 環境要因:生活習慣・感染症・化学物質など

  • 遺伝要因:生まれ持った体質や突然変異の蓄積

  • 未解明の要因:まだ解明されていない要因も多くあります

このように、多様で複雑であるため、SNSの情報は簡単に信じられるものではありません。
「この食品で治る」「砂糖を取らなければ防げる」「抗がん剤治療は受けるな」など、

"One size fits all"  一括りの情報には大きな危険が伴うと思うのです。

 

夫の稀少ながんと闘病の経緯

夫が罹患し戦ったのは、世界でも症例報告がほとんどない横紋筋肉腫・多形型で、驚くほど進行が早いものでした。

CTスキャンからバイオプシーまでのわずか2週間ほどの間に、腫瘍は気道を確保できなくなるほど急激に増大しました。
もしバイオプシーの日が数日遅れていたら、その時点で命は危なかったでしょう。

バイオプシーその場で緊急気管切開が行われたからこそ、壮絶ではあったものの夫はその後14ヶ月もの間、病気と戦うチャンスを得ることができました。

 

医療チームの献身と学び

幸運にも夫は、世界の各有名大学でフェローシップを修めたワールドクラスの医師陣に診てもらうことができました。
医療チームは決してさじを投げず、放射線治療も抗がん剤も、痛みのコントロールも行ってくれました。

そのおかげで、夫は延命と闘病の時間を得ることができました。

 

がんは種類やサブタイプによっては簡単に「防げる」「治せる」と言えるものではありません。
SNS上で簡単に治療法を謳う人たちは、いったいどのがん、どのサブタイプを指して「効く」と言っているのでしょうか。

「がん」はひとつではなく、何百種類もあり、それぞれのメカニズムもまったく異なります。

 

一方で、環境要因が原因となるがんももちろんあります。
だから、生活習慣には気をつけつつ、自分の体を大切に生きていくことも大切だと思っています。

  • 過度の飲酒、喫煙、ドラッグなど、体に負担をかける行動を避ける

  • 自分の体と向き合い、日々の生活を大切にする

  •  

さいごに

夫の歩みを通して、医学の進歩と、それに携わる方々への感謝を忘れずに伝えていきたいと思います。

そして正確な情報を持つことの重要性を多くの人に理解してほしいと願っています。

7月4日午後3時35分

夫は安らかに永遠の眠りにつきました。


彼は最期の日まで力強く愛情深く生き抜きました。


7月2日深夜近くに救急搬送された時点の胸部X線。

両肺がほぼ真っ白に映る状態で、画像を見ながらの医師の説明を夫と一緒に聞きました。


続く胸部と頸部のCT画像検査。

頸部放射線治療の効果もあったおかげで気道は十分に確保されてる一方で肺は胸水で満たされており、すぐにそれを抜く簡単なオペレーションをするとのこと。


処置中、夫は完全に意識を失い危機的な状態にも何度か陥りました。

その後ICUに移るにあたり、妻である私に医師からDNRの意思確認をされます。

DNRとはDo Not Resuscitate =蘇生措置拒否のことで、去年の夏に夫は弁護士と遺言書を作成し、延命措置を行わないDNRの意思表示をしているので、その旨を伝えました。


もうそんなことを話し合わなきゃいけないのかと思い、気持ちが遠のいていきそうになるのを必死に堪え医師との会話を続けました。

蘇生措置は患者本人も大変な痛みを伴うから、自分もその選択をするだろうと医師は最後に言いました。

DNRとのことなのでこれから緩和ケア医に引き継ぎをして夫の痛みや苦しみを取り除くために最善を尽くすとのこと。


次の日3日の午後から少しずつ意識が回復し始めます。

3日の夕方には私と子どもたち、夫の弟妹家族みんな集まり、日付が変わっても夫はみんなと筆談で会話を続けました。


4日午前2時。

みんながいったん帰る前に夫は助けを借りながら自分の足で立ちあがり、私たち一人一人と力強い抱擁をしたのです。


その後みんなが帰り私と二人きりになった後も、夫はしっかりとした字で私と筆談会話を続けてくれました。愛情のこもった言葉、子どもたちや家族の話、思い出話。

午前4時過ぎまで記憶がありますが気がついたら私も眠ってしまっていました。


4日朝8時過ぎ

私にコーヒーと軽食を持ってきてくれた娘が夫に声をかけると目を開き笑顔を見せ、また会話を少しだけできました。


胸水が抜けたことで体も楽になり、このまま病状が安定、快方へ向かうものだと誰もが信じて疑わないくらい、意識が回復しているように見えました。


だけどそれが彼のLast Rallyだったのです。


娘が帰り、また夫と二人きりになった時、夫は少しずつ少しずつ深い眠りに入っていき、やがて穏やかに旅立ちました。


病気がわかってから14ヶ月。

夫の闘病生活は本当に過酷なものでした。

どんなに辛くても夫は常に愛情に溢れ思いやりを忘れず、強く、逞しく病気に立ち向かいました。


そんなカッコいい夫と人生を共にできたことを本当に誇りに思います。ありがとう。これからもずっとずっと愛してる。

ずっと、見守っていてね。

私のことをちゃんと次の世界で待っていて。


blogには何かポジティブなことも書き加えたいと思いつつ、そんな何かがなかなか見つからないまま気がつけば7月になってしまいました。


治療に専念できるようにとウィニペグに引っ越しをして1年が経ちます。


去年引越しをしてすぐに夫と庭に植えたいちご、ハスカップ、グースベリーが実をつけはじめています。







6月12日に放射線治療を終了してから明日で3週間。

だけど治療の疲れが日を追うごとに酷くなっていってます。

去年同じ部位の放射線治療を受けた時のことを思い出すと、回復するまでに5週間かかっています。

だから焦らずにゆっくり体を休ませようと夫には声かけをしています。


だけど今回の疲労度は前回の比ではないくらい辛そうで、本人も抗がん剤治療の方がずっと楽。

放射線治療次がもしできてももうしたくないと言います。


筆談でも会話ができていたのが数日前まで。

今週に入ってからはボードに書いてくれるメッセージも想像力を使って読むのがやっと。

手先に力が入らず、目もうつろでしっかりとした字が書けません。

トイレに立つのもしんどく、尿瓶を使い始めました。

咳き込むたびに目を開けるのですが、覚醒はなかなかしていません。


SpO2 血中酸素濃度も下がっていて家庭用のパルスオキシメーターでは90を下回っているので先週金曜日から家で必要に応じて酸素タンクを使い始めました。


こんな状態なので夫は外の畑の成長は見られません。

写真を見せると👍サインをしてくれました。


今週金曜日は頸部CTの予約があります。

放射線治療の評価と次の治療方針は次週主治医から話がある予定です。