50歳!さてこれから何しよう!

50歳!さてこれから何しよう!

50歳になった。これから何を始めよう?何ができるかな~

義父が施設へ入所することになり、義両親ともに施設代の負担が決定。

 

義母の施設代は約9万円、年金は57,000円ほど。すでに3万円負担しているわけです。

そして義父の場合は今まで食事の負担、灯油の負担、地代の負担その他もろもろをしていたわけですが、

今回の圧迫骨折の入院(約9万円)で要介護認定5となり、施設入所が決定しました。

 

義父の場合、年金が約7万円で差額2万円足りないわけです。

 

2人で5~6万円が足りないため毎月差額を負担することになります。

 

そして地代と。(地代は家を引き払うとなると処分費がかかります。家ごと地主さんに引き取ってもらえたら嬉しいのですが・・)

 

そこで、先々月かな、うちの母親から「境界層の医療費」という補助金?があると聞きまして。

 

母ヨシエの義姉の施設の窓口になっています。

 

義姉は元々施設出身の人なので身寄りがありません。兄が先に亡くなり義姉も介護5の認知症で施設に入所しているわけです。

一昨日の年末にケアマネの方から「危ないかもしれない」ということで、病院に入院したのですが寝たきりの状態で現状維持しています。

 

仲が良かった夫婦なので義姉を兄と同じお墓に、と思っていたため窓口になったわけですが、そろそろ義姉の貯金がついてきたわけです。

 

そこで役所に相談にいくと、足りない部分を補う「境界層」という制度を教えてもらいました。

 

度々義両親の援助の愚痴をヨシエに聞いてもらっていたので教えてくれたのです。

 

そして、私は数年前に一度生活保護課に相談に行ったのですが、そこでは門前払いのような扱い。

職員は座って話を聞いてくれることなく、家を売ってお金が底をついたら来てくれ、支援する人がいるなら問題なしの一言で立ち去る感じでした。

 

義両親には売る家はないし貯金はないのに、そんな話も聞いてもらえず。息子がいるとダメなのか?という印象。

 

そこで今回は相談ではなく申請書をもらう感じで「福祉課」で切り出すと、熱心に話を聞いてくれました。

 

これが手順①の「相談」です。

 

そう、相談に行くなら福祉課か最寄りの包括センターへ。

 

どうやら境界層という制度は生活保護申請で落ちた人を助けるための制度の1つとのこと。

 

相談→申請→審査、という感じですね。

 

相談を済ませ、翌週申請に必要な書類(マイナンバーや通帳など)を持って再度市役所へ。

2人分の申請をするのに約2時間。

 

彼らの生い立ちや現状の聞き取り、申請書を記入します。

それから2週間後には結果が出るようです。

 

その間、親族宛(どこまでの親族かはわからない)に援助しますか?と尋ねる書類が送られるとのこと。

 

ここで支援者が出れば問題なしで、支援を申し出る人がいなければ次の段階に進むようです。

 

特に驚いたのは、義父の年金が約70,000円で義母は57500円だったかな?

 

二人とも最低生活費を超えているので生活保護の審査は落ちるだろうと。

 

え?57500円で生活できる?出来ていないから食費や灯油、地代など援助してきたのに。

 

まぁ、食費や暖房冷房など切り詰めて夫婦2人で12万あればいけるのか?って思うけれど、これ1人の年金約6万円でも超えてるそうです。

 

国民年金は約6万って聞いてますけど、光熱費や食費、医療費で6万でいけますか?

 

年金を支払ってこなかった生活保護受給者は十数万もらってるって聞きます。(これは実際に金額を聞いたわけではありませんが)

 

なんか不公平ですよね。ひとまず長年年金を払ってきた人にも少し快く支援をしてもらいたいですよね。

 

とまぁ、現状こんな感じです。

 

結果が出るまでにあと10日ほどかかると思いますが、これでダメだらもうやれることはない。

 

また副業でも始めるかな。。。と思っても、もう面倒くさい。

 

 

毎月大阪に戻りマルオの用事を済ませています。

 

主に買い出しと散髪、洗濯物だったりと、まぁいろいろです。

 

今回は年末の買い出しに出かけ、パンやチキン鏡餅などスーパー2軒をはしご。

 

予定では29日に買い出しに行く予定だったのですが、長女の子ども2歳を急遽預からなくてはならず、マルオの家に行けたのは31日でした。

 

買いたい大きさの鏡餅が売り切れていて、少し小さめのものしか残っておらず「みかん」が絵になっていてガッカリしていました。

 

気持ちがあればいいやん、という言うと「なんでやねん!」と元気な回答。

 

通帳記帳を終え、お昼をいつものびっくりドンキーに向かうと、今まではハンバーグセットを頼んでいたのが

今回は「ご飯とみそ汁」はいらないとのこと。

 

脳梗塞を限界まで放っていたため、麻痺が残ってしまった両手は少しづつ動きも悪くなっているのか?と聞くと、

(右腕は物を掴めるけれど45度ぐらいまでしか上がらないため左手で支えて上にあげる感じで使っています。左手は上下に動くけれどグーの状態なので物を掴むことは不可)

 

右腕が上がらない手でご飯やみそ汁を食べると必然的に前かがみになってしまい、逆流性になってしまうとのこと。

 

なので食べやすいパンにしているし、熱い飲み物は特に外食では控えるようにしているのだそうです。

 

確かに、危なっかしくてひやひやします。

 

スプーンを持ったとしても、腕が上がらないためどうしても口をスプーンの方へ近づけなくてはならず、こぼしてしまうと思われます。

 

先々月の外食時にはなんとかご飯とみそ汁を食べていたけれど、逆流性を避けるために諦めたという感じでしょうか。

悪化していなければいいのですが。

 

買い物を終えると毎回レシートを見て計算、通帳で生活費を計算しています。

 

82歳の一人暮らしはだいたい月12万~13万弱。

 

光熱費と食費、デイサービス関係に生命保険など。

 

それを聞いて自分の老後を想像すると、年金が10万とすると3万ほど足りないかな。

 

毎月年金以外の収入を得られる仕組みを構築しなければジリ貧になってしまいますね。

 

義父母のようにならないように投資で増やせるようにがんばろう。

 

マルオにはいろいろ教えてもらってありがたいです。いろいろあるけど良い親だなと感じています。

2026年元旦、主人と次女と一緒に奈良にある大和神社(おおやまとじんじゃ)へ参拝に行ってきました。

 

154年ぶりに三が日のみ一般解放されるというネットニュースを見まして、これは拝見したいなと。

 

JR奈良からまほろば線に乗り換え長柄駅で下車、徒歩7分ほどのところにあります。

 

私たちが到着したのは午前9時半ごろ。

 

戦艦大和ゆかりの神社というのも惹かれました。

 

激混みしてるのかと思いましたが、そんなことはなくこじんまりしていてゆったりした参拝ができました。

 

撮影禁止のところもチラホラあったので、写真は撮りませんでした。

 

大きな焚火が暖かくて、火のゆらぎに癒され参拝前ですでに心地よい感じ。

 

お腹の中も温めたかったので、キッチンカーで少し腹ごしらえ。

 

娘と主人は焼きおにぎりとぜんざい。このセット?にはお茶がついてまして、50代以上の方には懐かしいプラスチック容器に入ったお茶がもらえました。

 

新幹線の駅弁でよく見たコップ付きの透明なプラスチック容器の温かいお茶が、アラサーの娘に刺さったようでめちゃくちゃ喜んでいました。

 

私はというと、数十年ぶりに粕汁が飲みたくなり500円で購入。これもまた美味。

 

身体の中も外も温かくなったところでまずは普通に参拝。

 

その後、解放された斎庭へ。

 

なんというか「普通に参拝できるところ」でした。

 

*そんなに神社が好きで詳しいというわけではないので、感動はありません・・・

 

大和神社のもう一つのメインである「戦艦大和ゆかり」を堪能。

 

資料館では模型が飾られていたり戦死した方の写真が飾られてあったり、胸がギュっとなりました。

 

 

特に八杉康夫さんのメッセージ

 

「若者よ、君たちが生きる今日という日は、死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」

 
この言葉は本当に泣けてくる!
 
写真に撮ってSNSに上げたいと思ったけれど、撮影禁止なのかどうかわからなかったんで残念ながら記憶のみ。
 
こじんまりした神社ながらもかなり良い雰囲気で、私も娘もとても気に入り来年もまた参拝に行こうと思います。
 
滞在時間は1時間もなかったと思いますが、とても内容の濃い時間を過ごせました。
 
帰りはせっかく奈良まで行ったので帰りは法隆寺に寄って帰りました。
 
ここも素敵だったのでまた別記事で。
 
今年もよろしくお願いします!