父が天国へ旅立ちました

 

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今年、倒れて家に帰る事なく

半年ほどで逝ってしまいました

 

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あんなに元気だったのにえーん

 

父は、80代でも現役で農家をし

車やダンプ、大きな農機をのりこなし

おいしいお米をつくり

いつも送ってくれてました

 

2021年8月のブログ

   下矢印

 

 

 

昨年9月に津軽を訪れた時は、

父と二人で、温泉デートしました

あれが最後に会った

父との時間となってしまいました

 

2022年10月のブログ

  下矢印

 

 

80代になってからは、

父に会うために、

私にしては頻繁に会いにいきました。

 

特に、父と弟との確執が激化し、

少しでも、親子の仲が緩和されるようにと

それぞれの話を聞いたりしましたが、

 

逆に怒りはてなマークが増し、それぞれ二人とも

聞いている私に当たったり・・・

 

話を聞いて、スッキリするならまだいいですが

話す事で、もっと激化するケースがあり

 

聞くほうは、ほとほと疲れ

悲しくて涙がでました

 

人を見て学ぶ

 

発する言葉は

感謝の言葉にしたいものです

 

なんでもそうですが、

やってみて

次の策を考える

 

愚痴は聞かない!!

ということを決めました。

 

そういう方向になると

話題転換し、

 

父と母との出逢いとか

母との若い時とか

 

すごくいいお話を

いっぱい聞きました

 

父も、亡き母の

よき思い出を振り返り

よい時間だったとおもいます。

 

愛媛県から青森までは、

飛行機を乗り継いでいきます。

 

時間も旅費もかかりましたが

親孝行できたとおもいます。

 

親孝行できたかどうかは

あくまでも、

【自分の満足感】だとおもいます。

 

 

遺産は、長男に全部いくようですし

最後の最後まで

父は私には、金銭面での

サポートはなかったようです。

 

 

母が癌で病床中

2回手術したのですが、

その時は、2回とも病院に泊まり

看病しました。

 

松山で仕事を終え

羽田で乗り継ぎ、

最終便で青森空港に到着し

そのまま病院へ直行し

手術後の看病

 

看病後、

病院から、青森空港へ直行し

伊丹で乗り換えし、

 

また松山へ帰り仕事しました。

 

海外に滞在する事も多かったので

日本にいる時に

そうしたタイミングで

看病できたのはラッキーでした。

 

 

父の時は、

コロナ禍の影響で、

面会すらできませんでした。

 

今年は、母の13回忌

春の法要の時は、

父は、病院。

 

コロナ禍で面会はできませんでしたが、

ダメ元で病院へ行き交渉

 

特別にと、

義妹のスマホで、

私は県外者でしたから、

病院の駐車場で待機しながら

父と話ができました。

 

 

変わり果てた父の姿に涙があふれました

すっかりやせこけ

抗がん剤のせいか、髪の毛も薄く

ミイラみたい

 

こうしてブログを書いていても

まだ涙があふれますね・・・

 

耳が聞こえにくいので

看護師さんが、サポートくださり

ほんと助かりました

 

最初、険しい顔の父でしたが、

『かつこだよ~ わがるはてなマーク』と

大声で画面ごしに手をふりました

 

父は、解った様子で

『エドさん元気だなはてなマーク

 

と米国人の主人を気遣う言葉にまた

涙が押し寄せましたえーん

 

父は、

『こっそり、こごさ こなが』と

画面ごしに私にくるよう伝えてました

 

それを聞いた看護師さんは

『まだ、面会できないんです』ときっぱり。

 

父は、会いたかったとおもいます。

コロナ禍で、誰とも面会できず

入院中も誰もお見舞にいけず

寂しかったとおもいます。

 

父の83歳のお誕生日に書いた

お手紙、次男の手紙も

読もうと思って準備していたのですが、

 

耳も聞こえず

体力もなさそうだったので

 

再度、看護師さんに渡す事にし

愛媛のみかんのジェリーを

1個渡しました

 

松山空港で購入したジェリー

 

父には、頑張ってという言葉はかけず

『じゃ、またね~パー元気になって』と

一生懸命涙をこらえ、手をふりました。

 

父も笑顔になり

手を振ろうとしたら

ぶるんぶるんし

 

筋肉が衰えていたせいか

手をふる事もままならい様子でした

 

そんな自分に父も

とまどい『手もふれなくなった』みたいな・・・

 

父は、頑張りすぎるくらい

頑張って仕事もしてきました

 

母が他界し12年

頑張って田んぼも続けましたし

あっぱれでした

 

弟(次男)の手紙にもありましたが

父の年で、自分がそこまで元気でいられるとは

おもえないという尊敬の言葉

 

次男の手紙も私が書いた内容と似てました。

 

義妹の計らいで、

以前にも、携帯で話はしたことがありましたが

体力がなく、あまり話せませんでした。

 

今回、ビデオ通話で、顔がみえたせいか?

父も嬉しかったようです。

 

おそらく、久しぶりに笑顔に

なったとおもいます。

 

こわばっていた表情が笑顔になり

可愛い父のいつもの笑顔がみれ

よかったです。

 

私にとっては、

父は、少年のような人

 

あまり父親感がなく

生きている世界が

違いするぎるというのもありますが、

私のビジネスの話は、

ほとんどした事がない

 

なんでも頼んだら、

フットワークがよく

やってくれるという感じ。

 

今となっては、

春に、父とビデオ通話できてよかった。

 

次男も翌日、直接病院に行き

ビデオ通話を交渉しましたが、NGでした。

 

そういうタイミングも私は

すごくよいのだと感じました。

 

父の容態は、その後少しよくなり

ICUから4人部屋に移ったそう

 

食事もできるようになったそう

 

その後、病院を転院し

介護付き病院の空まちになります

 

介護付き病院に移ってから

容態が悪くなっていきます。

 

松山から軽井沢入りしたら、

新幹線を乗り継ぎ、

青森に近くなります

 

面会も、抗原検査で陰性なら

5分できると言われてました。

 

容態が悪化し、

危ない可能性が高いと聞き

 

面会の予約がとれたので

軽井沢へは寄らず、

松山~羽田~青森と

飛行機を前日に予約

 

喪服等も、万が一を考慮し

松山から軽井沢へ送っていたのでした

 

そしたら、

出発する明け方に父は天国へ逝ってしまいました。

 

面会するはずだったのが

亡き姿に面会になってしまったのです。

 

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羽田から乗り継ぎ青森へ向かう飛行機からは

夕日がものすごく綺麗でした

 

父がプレゼントしてくれたとおもいます

 

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岩木山もうっすらみえてました

 

母の時もそうでしたが、

機内では、涙が頬をつたいます

 

父は、私の仕事を考慮し

予約にかからない日を選んだとおもいます。

 

1月も父が、

『いず、いげばいだばはてなマーク』的な

エネルギーが来ていたのですが、、

この事、ブログでも書いてます

  下矢印

今年2月のブログ

 

 

 

先月6月も、アメリカにおり、

帰国してからは、松山でご予約や

予定でいっぱい

 

その後、軽井沢へ移動の予定でした。

 

度々、父のエネルギー体はきており

7月は、軽井沢でご予約、ゲストさまが多く

忙しいので、

 

父のエネルギー体には、

8月の上旬頃ならいい

 

でも、もうしんどいなら

いいよ、、と伝えていたのでした。

 

そしたら間もなく父は逝きました。

 

本当は、長野で座禅断食する予定でしたが

その前に亡くなりました。

 

座禅断食で予約をカットしていた

そのタイミング

 

ご予約のお客さまにも

迷惑がかからない時期。

 

今年は、コロナ禍あけもあり

Victoria道後(愛媛)

Victoria広尾店(恵比寿・代官山)時代の

お客さまのご予約が

Victoria軽井沢へはいってました。

 

みなさん、飛行機や新幹線の予約をされ

楽しみにいらっしゃるのに

 

父の事が、重なったら、どうしよう。。

と思ってましたが、

 

見事、父は、予約に全く影響がないばかりか

軽井沢へ行くタイミングの

あらかじめ予約していた飛行機を変える事なく

 

まるで青森へ行くのを待っていたかのようにして

絶妙なタイミングで逝ったのです。

 

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【迷惑はかけたくない】という

父の想いが

ほんと伝わってきて

涙があふれます。

 

父は、とてもおだやかでした。

 

人生やりきったとおもいます。

 

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通夜の前日も美しい夕日でした

 

面会しようとおもっていた

飛行機の予約は

納棺日にも間に合うというタイミング

 

灯りをたやさず

お線香とローソクの番も

 

3日目は、

その日、かけつけてくれた主人と一緒に

安置されている部屋で寝て

灯り当番しました。

 

米国人の主人は、嫌な顔ひとつせず、

日本の田舎、津軽のしきたり、

私につきあってくれました。

 

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父の田んぼを通り火葬場へ

 

主人と私は、

父の部屋に1日寝ました

 

長男と父との最後の動画には

驚愕し、色々な想いがこみあげ、

なかなか寝れませんでした。

 

それでも主人が隣にいてくれるだけで

どんなに救われたか、、、

 

母の時もそうでしたが、

 

主人の存在は、尊く

愛するパートナーがいて

ほんとうによかったと、

今回もさらに思いました。

 

コロナ禍の時もそうでしたが、

先のみえない中、

お互い、年月を重ねる事に

深い信頼になっていってます。

 

独身主義だった私が、

こう思えるのも

年のせいですかね、、

 

昔から、

おじいちゃん、おばあちゃんになっても

二人で支えながら

手をつないで歩く

 

そんなイメージでしたが、

義両親がまさにそう

現在も健在

 

アメリカに頻繁に行くのも

80代後半の義両親が元気なうちに

会いたいから。

 

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父も12年ぶりに

天国で母と再会し安堵しているかと。

 

お通やも葬儀もコロナ禍を配慮し

近親者で厳かに行われました

 

弟(長男)は、

確執はあれど

きちんと父の最後を見送りました。

 

結局、最後、危篤になってかけつけたのは

義妹のみ。

その翌日に逝きました。

 

弟は、父が倒れ入院した半年間

一度も面会に行ってない事には

いささか驚きました、、

 

ほんと人それぞれ

 

危篤の判断基準はどういう状態なのでしょうはてなマーク

 

もう少し早く、重篤を伝えてもらいたかった

最後、5分でよかったから

面会したかったです。

 

こうした気持ちを持ちづづけていたのは

私だけだったかもしれません。

 

危篤の判断難しいのでしょう。

 

コロナ禍とはいえ、

誰も面会にこなくて

寂しかったのではないかという事が

気になります。

 

義妹が、

病院の手配等してくれました。

 

私が遠方で、米国人と結婚し

ある意味自由でいられたのは

弟夫婦のお陰ではあります。

 

親子もっと仲良くしてほしかったというのは

欲になるのでしょうか・・・

 

 

きちんと

父を想っているよと

伝えたかった。。

 

父のエネルギー体とコンタクトすると

もう安堵している様子。

 

色々な事から解放され

ほっとしている。

 

私の事まで、考えられてなくて

申し訳ないというのも

天国に行ってから感じます。

 

自分の事で精一杯で

体力が急に落ち

思考力も低下してしまったのだと。

 

父が、長男と仲良かったら

よかったのに、、とは

ほんと思います。

 

とはいっても

ず~と離れて暮らしていた私が

いう権利はなく、

 

時が解決してくれる事を

待つ感じでしょう。。

 

今回も、Victoriaのお客さまに

非常に救われました

 

初七日もおわり

都内からのVictoria広尾店(代官山・恵比寿時代)の

お客さまをVictoria軽井沢でお迎えし

お手入れをさせていただき

 

そこに集中できた事で

ほんと気分転換になりました。

 

その後も、Victoria松山店(道後)の

お客さまも、初軽井沢という事で

軽井沢をご案内させていただきながら

緑の中の癒しのエステ

 

ほんと、全てを忘れ

今ここを堪能する

 

 

癒しを感じ

幸せ感いっぱいでした。

 

もし、お仕事をしてなかったら

色々考え、悲しみに浸っていたかもしれません。

 

母の時もそうでしたし、

 

色々な出来事があっても

 

フェイシャルをさせていただくお時間で

全てが浄化されるキラキラ

 

だからこそ

エステは、天職であり

人生において

かけがえのお仕事

 

何度も何度も

救ってもらいました

 

こうしてブログを書けるということは

だいぶ心が落ち着いたから。。

 

と思ってたのですが、、

 

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涙はあふれ

 

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何度も保湿ティッシュで涙をおさえました

 

涙は、塩分ですから、

お肌に刺激にならないよう

保湿ティッシュ(やわらかいティッシュ)で

涙を吸収させます

 

沢山泣いたら

なんだかスッキリしました。

 

こうして涙する事は

何回か続きますが、

時が解決しますし、

 

人は皆、平等に

生まれた時から死に向かっている

自然現象

 

両親と仲が良くない方は、

ほんと仲良くしてほしいです。

 

親があっての自分

 

実は、選んで生まれてきているかもしれない

 

そんな事を想いながら、

いつかくるであろう日が過ぎさり

日常に戻っております

 

今となっては、

父の夢だった

『75歳までに芸能人が行く

お正月のハワイへ行ってみたい』

いい思い出

 

2016年1月のブログ

  下矢印

 

 

 

父からお米やメロンが届くと

主人にも電話を代わり

津軽弁の父と一生懸命?会話する主人

 

私が結婚した時

父は、主人に

『かつこをよろしく頼む』と

ガッツリ主人と握手をしていたのが

とても印象にのこってます。

 

その奥の想いには

『かつこを幸せに頼む』みたいな

ニュアンスを感じました

 

米国人の主人と出逢って

もうすぐ20年

 

きちんと幸せだよ

お父さんキラキラ

 

 

自分を幸せにできるのは自分

 

もやもやなどあっても

これからの自分の選択、

思考で将来は決まる

 

引き続き、

幸せでいると決める

 

感謝を忘れず

宇宙エネルギーを感じ

沢山の愛を自分にもそそぐ

 

KDコスメのことだまを

唱えながらキラキラ

 

 

そして、明日から始まる

ソシオエステティックを学ぶ

 

 

 

義両親も、大切にし

親孝行をすると

決めている。

 

エステティシャンだからできる事を

深め、貢献して参ります。

 

引き続き、

Victoriaでフェイシャルをさせていただきながら、

宇宙愛と感謝を感じ

 

今、目の前にいる大切な人、

大切な事に集中します

 

マークスかつこ(合掌)お願い