自虐ネタだぞ(^o^)丿 -3ページ目

生きることは本当に幸せなのか

 生まれて初めて



 「生きて」




 と、言うことが酷だと思う人と出会った。




 なぜ、世界は彼に厳しいのか。




 彼がいったい何をしたのか。





 ただ、テレビを見るのが大好きな人だった。






 今の日本ではあたりまえすぎるほどの日常さえも、世界は許さなかった。







 なぜ?


 どうして??







 怖いねん。



 怖いねん。





 電話の向こうで、狂ったように繰り返す彼に、それでもわたしは












 「生きて」




 と、言った。








 寒空の下、冷たい道路に横たわり、凍え、朦朧とする意識の中、冷たくなったほうが彼を楽に出来ると本気で思っていたけれど・・・




 わたしは、残酷にも「生きて」と言った。




 生きて幸せになれるなんて保証はまったくないのに、無責任にそう言った。





 身寄りのない、住む家も失くした彼の、骨を拾いに行くのが嫌だった。



 わたしのエゴで「生きて」と言った。





 「一緒に死のう」という選択肢もあった。




 わたしも生きることに疲れていたから。





 でも、彼の状況が悪化を辿る中、死が現実味を帯びてきた時に怖くなった。


 急に、心中をした時の周りへの影響を現実として捉えて、死が恐ろしくなった。



 彼に無理心中を装ってもらおうか?

 そうすれば、少しはわたしの体裁が繕える。



 そんな保身が頭を過り、死を恐れた。


 そんな自分に吐き気を覚えた。




 しかし、わたしの前から彼は姿を消し、わたしは恥を晒し生き続けている。



 闘病中の年老いた両親に心配をかけるわけにはいかず、無理やり食事をし、影で吐き、彼のことを思い出しては泣いた。


 目を腫らし、作り笑いを浮かべるわたしに、家族は何かあったと薄々感付いていた。


 結局、わたしは彼にも家族にも中途半端な対応しかできない、クズな人間で、ますます生きている意味も分からなくなった。





 わたしの無責任な「生きて」という言葉に真摯に答え、今もどこかで苦しみながら生きる彼。


 中途半端で、自己中心的に生き恥を晒し続けるわたし。





 生きることは本当に幸せなのだろうか。







 意味のないことなど存在しない。


 そんな綺麗事を昔、何かの番組で聞いた。




 例えば蝶の羽ばたきが、どこかで嵐をおこすかもしれないように、誰かが存在することで、誰かの日常を作りあげているかもしれない。




 だから、意味のないことなど存在しない。




 ドラマ(仁-JIN-)では、そうだった.。





 でも、彼はこの空の下で生き、わたしもここに生きている。


 ドラマなどではなく。


 現実に。





 もし、彼が生きている意味があるなら、どんな意味があるのか。



 こんなに苦しんできた彼が、ここまで苦しんだ意味はどこにあったのか。




 今も世界に厳しくされながら、生きている意味は何なのか。




 教えて欲しい。




 生きることは本当に幸せなのか。

裁判やってます

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