自分の過去ブログから、今を語る~”生きるために、手放す(9)”~ | 松田佳子のblog

松田佳子のblog

こころに着込んだいろいろなもの
脱いで
手放して
魂の願いを生きよう

このところ、立て続けに

『過去のブログ読みました😭』と

メッセージを頂いたり

受講生さんに言われたりして



わたしを知ってもらうために

名刺代わりに置いておこうと書いた

過去のブログが

今改めて息づいているのを感じます



わたしがこのブログ

アメブロを書き始めたのは

わたしに起こった『気づきの連鎖』を

記述として残したかったからです


後にこれ

ツインレイのタグから

ツインレイ界隈の方も多く

読みに来て下さったりメッセージを頂いたり

色々な受け取られ方をしたものですが

今となっては

ツインレイのことが書きたかったのでもない

ということもわかる




過去なんてただの過去だから

それをわざわざ公開し続けるのって

どうなの?と

言われたこともあるし

わたし自身も過去に重きは置いていない

ただ

過去にこんなことがありました!という

アピールではなく

気づきの軌跡だと思うから

残して公開しています



書いてある内容は

決して楽しいものではありませんが

以前、これを読んだ男性からも

ひとり、ふたりではなく

何人もの方から

わざわざ、感想を頂く機会もあり

(男性が読んでくれることも嬉しいですし、わざわざ感想をくれるなんて珍しい気もするので本当に嬉しいです)



どこが、どうなのかは

人それぞれ

だけど読む人の中にある

無意識にしまい込んでいた感情と

共鳴する部分があるようで

何かしら、気づいたり

なぜか泣けたりと

浄化されるものがあると

今朝もメッセージを頂いて



書いておいて良かったなと

改めて思いました


すべてが実話なため

実在する人物がいる以上

わたし側のストーリーをこうして残すことは

相手には不利益なのでは、とか

思うこともあり


時が来たら非公開にしよう

もうこれを残す時代は終わった、と

何度も思いましたが


何年経ってもその中心にあった

これを書いた当時のわたしの想い


『この気づきのプロセスはきっと誰かのことも癒せるし励ませるはず』


というのがちゃんと

響いているよと言われるようで



あの日々

仕事を辞めてまで全集中で

全身全霊でこれを書くことに打ち込んだ

わたしに改めて

賞賛とエールを送る




実際には書いた以上に

表現し難いほどもっとどす黒く

辛辣で深刻にどん底でしたので

表現が過激にならないよう

人を責めるために書くものではなく

事実から抽出した気づきだけが残るよう

細心の注意を払って書きましたので

ものすごく神経を使いました


重たい黒い泥水を

撹拌して撹拌して

上澄みだけを純度高く抽出するみたいなね

そんな作業で


それでも何度も

ブログ非公開の憂き目にあい

削除された通知を見ては悲鳴をあげ

どこが『世に出してはいけない』表現かを

推敲しまくったので

むしろアメブロさんも

純度高く抽出するために

審判してくれた神だったかもしれません笑



今朝これを読み返して

涙が出ました



この時期のわたしはとにかく

良妻賢母であることに必死で

必死な時点でもうそれは

わたしには出来ないって事なんだけど笑


わたしから

良妻賢母を取り上げたら

何も残らない!!と恐怖でもあり

良き妻は捨てたとしても

良き母、賢い母を捨てるのは

本当に難しく

この日を境に、始まっただけで

ここからガラリと変わった訳では

ありません


離婚後も何年もかけて


ひとりひとり対等に

親でも子でもなく

尊重し合うとは

介入し過ぎず

離れすぎず

ずっとここに在る安心を

ちゃんと感じながら

自由に生きていることを

応援し合えるとは


親子でぶつかりながら

特に長男とは大変にぶつかり合い笑

3年前の今頃

中三の夏に大喧嘩をして

どちらか死ぬかもしれない、と

見兼ねた母に引き離され

静岡に引っ越すまでの半年強を

わたしと長男は別居し

ほとんど顔を合わせませんでした



過干渉もゆるさず

過放置もダメ



思春期の長男と向き合う日々は

思春期のわたしをやり直しさせてもらう

みたいな日々で

わたしはどうされたかったの?

心配ではなく信頼されたかった

それをひたすら

長男とぶつかり稽古しながら

自分を癒したのだと今は思います



上のブログにあったように

この日を境にわたしは

良き母、賢い母であるために

きちんとした食事を並べることは

辞めて現在に至ります



離婚後東京にいた間は

わたしが作らなくても実家の母が

わが家の分の夕食を作ってくれて

実家で食べたり

わが家に運んできて食べたりして

本当にありがたかった



その後

2年前に静岡に来てからは

急にまたすべての主婦作業が

わたし一人の肩にのっかり

辞めていたお料理も再開し

ですが

一人っきりで仕事も家事もして

わたしには

お父さんとお母さんを同時にやるのは

とても難しい

仕事いっぱいな時はお母さんできない

など

自分のこともよくわかっていて

無理をするのもやめたので

出来合いのもので済ませたり外食したりも

とても多いです


食と向き合うと苦しくなるくらいなら

楽な方を選ぶ



食だってなんだって

苦しくなりながらやってるものは

本質から逸れているわけで

楽しめないなら

一度離れてごらん

がモットー




そんなこんなしていたら

高校生の長男も

あの時の長男の年齢になった次男も

わたしをうまく

使うわけです



『母ちゃんの作るごはんマジで美味い😆』

『これを超えるもの外では食えない』

『やっぱり母ちゃん作ってくれるといいなー😆』


なんて言葉に

すっかり気分よくなって

作ります笑



ファストフードなんて当時の私には敵でしたが

息子たちは食べたがるし

東京にいたら近くに何でもあるので

長男なんかは友だちとも

ふつうにガンガン食べに行く

そのファストフード某M社で

人生初のアルバイトを始めた長男

『さすがに毎日見てると食いたいもんでもなくなってきた』

本人からそう言うようになり

母ちゃんのごはんがありがたいと

改めて感謝されるようになりました

(とはいえ毎日丁寧には作りません)



こうなっちゃったらヤバいから!と

当時心配して彼らの体験を

転んだり失敗したり

おかしなことが起きて

なにかに気づくという体験を

出来るだけ、奪わないように



そっちに、来てみて、いま

息子たちも自分で

自分にとってなにが最適か

選ぶという

本来ある生きるチカラを

ちゃんとつかって生きている



そう感じている毎日です



あの時

信頼が足りないことに気づいて

シフトチェンジしたわたし

ありがとう

いま

わたしも息子達も

それぞれ楽しくやってるよ😊



そう言えることが

とても嬉しい



昨日の夕方

母ちゃん見てごらん!なんかすごい

キレイな雲があるよ!

母ちゃん好きそう

と次男が呼んで見せてくれた雲

よくみるとゴジラみたい😆


夏季限定セッション大開放中

色んなお話しまくりましょう😆



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