夏至と山を超えて体感する『わたし』の男らしさ | 松田佳子のblog

松田佳子のblog

こころに着込んだいろいろなもの
脱いで
手放して
魂の願いを生きよう

新月、夏至、日蝕と
スペシャルな天体だったという
2020年6月21日

わたしは奈良県にいた



その前日は京都


京都の午前中は
ひとりで鞍馬〜貴船の
山越えを楽しんだ

山だよと知っていたし聞いていたけど
気軽に訪れてしまい
ほんとうに山登りだったので
予想以上に時間かかった



ひとりで黙々と山を越えてしまうことや
感覚の赴くままに歩きまわり
途中回路をはずれ迷子になりかけるあたり

めちゃくちゃ
わたしらしくて
心底楽しかった




奈良に行きたかったのは
二度目の結婚当時
何度もその前を通り気になりながら
一度も訪れたことがなかった
『室生寺』に行きたかったから


現地を車で案内してくれるという人もいて

これは行きたい
いつにしようかなと
わたしの守護の存在に
問いを投げたら

次の新月

と答えが秒で返ってきた
5月の新月後のことだったか



その時は
その新月が
夏至だとか日蝕だとか重なるとは
知らなかったけど


こんなところにわたしの意志など
そもそも関係なくて
すべては運ばれているだけだ



室生寺は
夫の両親の故郷である宇陀にあり

わたしたちは
毎年夏に帰省していた


その時通っていた道
もう行くこともないと思っていた道
その風景が近づいてくると
心臓がバクバクして
ちょっときもち悪くもなったけど


ここに来たかった!!
ようやく!!!

が勝り

バクバクとウルウルが混ざって
言葉にならない

正門から
女人高野『室生寺』を見上げた時
その美しさと
ここを知っているというノスタルジーに
圧倒されてしまい

写真も撮り損ねている


どうにか撮ったのはおかしなアングルのこれ
本堂に至るまでの楓が美しくて撮ったのと
奥の院の建物の土台部分



きっとここには
いつ行くか
誰と行くかも
意味があったのだと
行ってみてわかる

あの時ではなく
今だった

あの時の
『いつもわたしは無視される』
『どうせ聞いてもらえない』事実さえ
こうしてベストなタイミングで訪れることで
昇華された


いま行けたことに
この上なくよろこびが溢れて
ありがとうばっかり言ってしまう



願いがあるのなら

言ってみること
行動すること

ほんと、これに尽きる

頭でごちゃごちゃ考えていても
その間動きはなにもない

こうしたい
まず言う
そしてやる


自分をよろこばせる方法なんて
めちゃくちゃシンプルにもう
これしかない





そしてこの後

室生寺に行くならここ!
近いから行ってみて!
絶対オススメ!と

色んな人に言われた

龍鎮神社
龍穴神社

にも足を運んだ


この川は
数年前帰省で来ていた時も
助手席から無言でずっと見下ろして
いつもいつも癒され
英気を養っていた
龍だのなんだのまったく興味もない頃のこと



そう、川なんだけど
そこが神社

ここが
すごくて

祠に向かって手を合わせていても
言葉がなにひとつ
出てこない

すべての思考を遮断して
感覚だけが剥き出しになる

川辺に立ち
川面を眺め

言葉が出てこない代わりに
突然両手をひろげ
ハグをする
しかと胸を合わせてくれる
その感触と安らぎに
かろうじて人間を繋ぎとめた感じ

あのときわたし
自分の龍のエネルギーが
なにかの変容を遂げたのだろうなと
今になっておもう

感覚が思考を超える瞬間
異様なくらいに言葉が出なくて

みえない領域の方が
大きくなって凌駕する

細胞ごと洗い直してくるみたいな
きもちよさ


龍鎮神社


龍穴神社





この日は
どんな風にスペシャルなのか
わたしは意味を知らなかった

最近とみにそうだけど

意味なんて知らなくていい
必要があればわかるから


とりあえず行く、やる

旅行やお出かけに限らず
すべてがそう

むしろもう

意味なんて
わざと知らないぐらいでもいい
それぐらい
感覚だけで
ふわっと動く行動力って
すんごい軽やかで
余計なチカラを入れなくていい

調和の取れた行動力だと思う


意味や理由を探さないと
動けない人や
シンクロ見つけて
満足してる人
意味やサインをやたら集めて
応援されてるとか
守られてるとか
導かれてるとかに
ウルウルしている人
いるでしょうけど
その角度でスピリチュアルを楽しんでると
行動力がどんどん鈍って動かなくても満足するから

意味なんてわからないまんま
ふわっとやるって感覚が
めちゃくちゃ大事



スペシャルな日の朝は
ソルトアーティスト成田愛子ちゃんの
誘導瞑想に参加して

ニューアースを生きる
新しいわたしに生まれ直した
そんな意味がある日だとは
そんな日の瞑想だとは
知らずに参加して


不意にそれまでの自分への
さようならが訪れて
寂しくなるかと思うそばから


だから
この数ヶ月キツかったんだ
だから
こんなに過去世みたんだ
だから
こんなに感情たくさん湧き出たんだ

と納得しかなくて


その日を迎えるまでに
わたしは知らずに準備完了していた
もちろんそれは
魂が知っていることで
わたしは委ねているだけ



あのとき
感じることが苦しいなぁと思いながら
ひたすらそれを見続けた自分に
嫌なことたくさん出てきて
これはいるのかいらないのか
捨てないとこの先行けないよと
ほとんどの物を検分されたことに
じっと向き合った自分に

よう頑張ったと
たくさん自分をハグしていたわった


ほんとーに
キツかったんだ

幽閉された記憶も
生き埋めの苦しさも
村八分の孤独感も
自分の聖なる性を否定し続けた悔しさも
凌辱された忌まわしさも
自分の力をわざと抑えて
生きなければいけない封印も


ありとあらゆる苦しみを

一度ぜんぶ自分のせいにしようとする

自分責めの癖を挟むことで

その癖ももう要りませんから
捨ててくださいと
訓練でもするみたいに
ノック状態だった


ひたすら
ひたすら
自分しかいなかった



そこを超えたいま
わたしはものすごく
野生的だ

本能的という女性性を
しかと土台に据えたうえで
ものすごく野生的な男性性というのか
欲しいものの為に
一切のムダを省いた静寂の中で

研ぎ澄まして
瞬時に飛びつくみたいな
そんな
野生の生き物が獲物を仕留める時みたいな
丸裸で
森の中を生きているみたいな

そんな感覚


獲物を仕留めるのに
意味なんか要らないように
わたしはこれからもっと
意味なんかなくてもそう感じるところへ

ムダを省いてサッと飛び立てるように

ますます身軽に生きる


ほんとうの男性性が
顔を出したなと
わたしはそこによろこびを感じている





生まれた時に持ってきたもの
それがすべてだ

丸裸で生まれ
丸裸で泣き
丸裸で笑い
丸裸で抱かれた

ただ

それだけが

わたしに必要なもので

大人になって保護がなくなり

ひとりで自分の世界を生きるいま


なにも持たなくても
必要なことはすべて
持ってきているんだよと
その感覚でただ生きる姿を
みせようともせず
隠そうともせず

ただ在ろうと思う


自分をなにも曲げず
よく見せようとせず
なにかの役に立とうとせず
誰かをよろこばせようとせず

ただわたしを
生きるだけ


笑いたい
抱き合いたい
触れたい

そこにも
理由なんて要らないんだよ
してはいけない
理由もない


してはいけない
そう自分の本音を隠す
その戦いもまぼろし
まぼろしを捨てて
よろこびの方へ駆け出すこと


それがほんとうの
生きるなんだよと

伝わる人に伝われば

わたしも嬉しい



『リラとレムリアを語る会』
〜愛を超えた愛のおはなし〜