2031年の七夕は笑ってすごそう

2031年の七夕は笑ってすごそう

2017年12月にS状結腸ガン(ステージⅢa)・2019年2月に慢性硬膜下血腫(両側/3月に片側再発)と診断された母の闘病生活と、娘の気持ち(弱音多し)を綴ったブログです。
2026年7月、母の乳ガン(HER2タイプ、ステージⅢC)が発覚しました。またブログを再開します。


母ひとり子ひとり、同じ屋根の下で質素ながらも平穏に過ごしていたはずなのに...。



【母の病歴】
2017年12月 S状結腸がん(ステージⅢa)と診断され、2018年1月に手術。
2019年2月 両側慢性硬膜下血腫と診断され、同月、手術。
2019年3月 慢性硬膜下血腫の再発(片側)と診断され、同月手術。
2023年1月 S状結腸ガン 寛解
2026年7月 乳ガン(HER2タイプ ステージⅢC)と診断。点滴と皮下注射の治療開始。

娘から見た母の闘病生活(と娘の弱音)を記しています。
同じ病気の方・ご家族の方々とつながりが出来たら嬉しいです。

※ 記事中のこの文字色は医師の言葉となっています。

またブログに掲載した治療法は、母個人の病状に合わせて医師が決めた治療法であり、同じ病気(ステージ)でも同じ治療法とは限りません。あしからずご了承ください。







分子標的薬と抗がん剤を打ってから2日ほどは元気でしたが、そのあとから、倦怠感や足のしびれ、下痢を訴えていました。

特に倦怠感が酷いようで、仕事を休んで、ずっと横になっている日が多く続きました。何日か経った今、マシになったようですが、まだまだだるさはあるようです。


抗がん剤の副作用で辛くしているのを見るのは辛いものですね。これがあと11周あるのかと思うと、気が重いです。もう少し副作用が楽になるようになったらいいのになと願っています。

家族にも、治療方針などの説明をしたいのでと言われ、別日に、私と伯父(母の兄)とそのお嫁さん(伯母)の4人で、病院に行きました。


私は母が告知された時の書類を見てだいたい知ってましたが、また詳しく説明してくれました。それでセカンドオピニオンをしてもいいと言われましたが、この時点でもうしないと決めていたので、治療開始をお願いしました。


そのあと、薬剤師からの薬の詳しい説明(日程や副作用など)、その後、点滴室の看護師さんによる説明、ここで伯父たちは帰宅し、心エコーと心臓の造影MRIを撮影して帰ってきました。


マイナ保険証を使っていたので、この時点で、治療費の上限が来ていたため、支払いはなし。この当たりはありがたいですね。


もうすぐ、初めての皮下注射と点滴が始まります。

母はひとりで紹介状をもって病院に行きました。

生検もされたと思います。2日続けて行く日もあったみたいです。

2回の診察で、左は多分ガンじゃないけど、右は怪しいと言われたと聞きました。


3回目の診察でガンと診断されたようでした。でも私はその日の夜まで知らされませんでした。

仕事終わりの夜に、乳ガンであることを告白されました。

先生が説明に使ってくれた紙を見て、だいたいのことが把握できました。

それまでに、私は自分で調べてて、乳ガンには3タイプあることくらいは知識を得ていました。


定期的に通っている内科で、母が、医師に胸にしこりがあるから、乳腺外科を紹介して欲しいと言ったことでした。


私はそれまで全く知りませんでした。母が異変に気づいていたにもかかわらず、内緒にしていたのです。


乳腺外科は、S状結腸ガンの時と同じ病院を紹介されました。希望を出した訳ではありませんが、いちばん近かったからです。

内科の先生も、動くなら違うだろうし、きちんと見てもらったらいいんじゃないか?と言って紹介状を書いてくれました。

今回、乳ガンとわかって、セカンドオピニオンを考えました。


最初に行った病院はS状結腸ガンを治療してくれたところ。なのでデータが残っています。


ですが、その病院より少し距離がある場所に名医がいるブレストセンターがありました。そちらに移るか、とても悩みました。母も「どうしたらいい?」と言ってました。

たくさん話し合いをして、伯父伯母とも話して、結局、今の病院で治療してもらうことになりました。これは私のことにも関係してくるのですが、そのあたりはお話できないのですみません。


セカンドオピニオンをするかしないか、治療をどこで受けるのが最適なのか、それは人それぞれだと思います。でも、たくさん話し合い、悩んだ結果、我が家は、S状結腸ガンの時と同じ病院にすることになりました。