3,4日前に毎日新聞に、親の家を整理する。という記事があった。
サット読んだだけだが、あれこれと片付けの方法が書いてあって、片付け前と片付け後の写真が載っていた。どちらかと言うとそれを見た途端、読む気が無くなった。
あんなに片付いて、きれい過ぎて次の日,どこに何があるやら。。ってなる様な気がした。

親世代の所帯道具を子世代が自分の流儀で片付けた物は、使い勝手が悪いように感じた。
もしも親が亡くなった家を片付けるなら、きれい過ぎてもよいと思う。
けれど、子世代が帰った後親世代が生活するなら、もう少し何かが並んでいる方が自然だと思った。

その文章の囲みの所に、「思い出の品は最後!」って書かれていた。
親が生きているなら、思い出の品は始めに片付けの対象にして、ともに「これは昔からあるけれど殆ど使わないものだからもう充分でしょう」という様な会話があって、処分して欲しいと思った。
すると親世代(私なら)も納得するように思う。

 昨日のテレビで,女性のタレントや女優さんの「ゴミ部屋」の掃除をしていた。びっくりする位の部屋だった。
それを、片付け人を称する人たちが片付けていた。コンマリさんもいた、私はこの人の「ときめく物を残す.そして処分する物に感謝」と言うのが好きです。
ところが、この人も「思い出の品は最後!」と言っていた。

確かに「コンマリさん」が手がけるのは、これから充分な人生をする若い人達だから、それで良いと思う。

けれど、私が提唱している写真整理楽は、人生の最終章を思い出と共にたのしみましょう~~と言うことです。

例えば古い写真を見ていて、「お気に入りのワンピース押し入れに入ったままだけれど、15年前にも着ているなぁ~~ならばもう、感謝して処分しましょう~~」って、自分で考えなら物と別れる事が出来る。

昨日の写真整理楽、区民センターの図書館に来てけれど、部屋前の看板見てきました.と言って此花区のF本さんが来てくれた。去年亡くなったご主人の写真達の処理に困っている様子。