万葉集では以下のように伝えています
[券番] 第1券 7番歌
[作者] 額田王
[題詞] 明日香川原宮御宇天皇代 [天豊財重日足姫天皇] / 額田王歌 [未詳]
[原文] 金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
[訓読] 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ
[かな] あきののの みくさかりふき やどれりし うぢのみやこの かりいほしおもほゆ
[左注] 右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 一書戊申年幸比良宮大御歌 但紀曰 五年春正月己卯朔辛巳天皇至自紀温湯 三月戊寅朔天皇幸吉野宮而肆宴焉 庚辰日天皇幸近江之平浦
まずこの歌は4516の万葉歌の第1巻に載っている7番目の歌です。 この歌の作者で額田王となっています。 20巻に編纂された万葉集で第1巻には、84首の歌が詠まれています。 ところでこの第1巻のほとんどは天皇と皇室に関する歌です。
第1番歌は雄略天皇の歌で、第2番歌は舒明天皇の歌です。 それから三番、四番歌は中皇命と記録されていますが、その実体が誰かに関しては諸説あります。 筆者は皇極·斉明天皇が宝皇后だった時の作品として見ています(ポスティング、万葉集において中皇命とは誰か?https://blog.naver.com/kchan1602/222210275283)。
5番、6番歌は作者が「君王」となっていますが、これも史書、文集などどこにも見られない名前です。 百済から渡来した夫余豊章ではないかという説もありますが(ポスティング、万葉集5、6番歌の作者は? 君王って言うけど!!
https://blog.naver.com/kchan1602/222225518274)。筆者は、亡き夫である舒明天皇をしのぶ皇極․斉明天皇が皇極天皇だった時の作品と考えています。
そして7、8、9番の歌が続き、作者が額田王として紹介されています。 続いて10、11、12番には 3、4番歌に登場した中皇命の名前が再登場しています。 皇室でも同じ名前を他人に付けられることがありますが、少なくとも天皇、皇后という身分では同時代に同じ名前を用いることは容易ではないと考えるなら、3、4、10、11、12番歌は同一人の作品でしょう。 筆者は3、4番歌が皇極·斉明天皇が宝皇后だった頃の作品なら、10、11、12番歌は斉明天皇だった頃の作品とみています。 そして13、14、15番歌は天地天皇の作品、16、17、18は額田王の作品として継がれます。 19番は17番歌に続く反歌で、井戸王の作品、20番歌は額田王の作品、21番歌は天武天皇の作品です。 ここまでを表にまとめると、以下の通りです。
万葉集第1巻で21番まで見ると、天皇でない人として登場するのは19番の井戸王、7、8、9、16、17、18、20番の額田王です。 額田王の歌が実に7/21の頻度、または重要度で登場します。 もちろん純粋に見ると、額田王が作った歌の時期がこれに該当するか、または作品の水準に非常に高いためだと言えます。
ところが、万葉集第1巻は歴史であり、歴史の順であり、皇室の権威を示すものと考えられます。 第1巻84首全体が歴史順によって羅列されたようです。 そして前半は、そのほとんどが天皇の作品に続きます。
額田王の主な活動時期は、斉明天皇、天智天皇の時と考えられます。 もちろん天武、持統の時も生きていますし、この時に作った歌も伝えられています。
続きます……
