明けましておめでとうございます。今年から、ブログデビューさせていただきます。

とにかく、思ったことを徒然なるままに書いていこうと思っています。

ところで、当社では毎年仕事始めに、朝、始業時間より1時間以上前に集まり、近くの大国様に

詣りに行く事が恒例になっています。総勢15名で全員で、各自思い思いに今年のお願い事をしました。

大国主神社は、「大国主神社の縁起は、社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の帰りに立ち寄り、この地に松を三本植えて、そこに素戔嗚尊を祀り、渡航安全を祈願したのが始まりとし、この松の木にちなみ「松本宮」と称したという。 中世以降は牛頭、天王社、祇園社などの名が残り、明治初年の神仏分離令により「八坂神社」と改称されている。現在の社名となったのは明治20年代(1887~96年)である。この「敷津松之宮」は素盞鳴尊、大国主命、奇稲田姫命、事代主命、少彦名命とポピュラーな名前の神々が祀られている。」とのことです。

 又、境内に入ると銅像が眼につくのですが、この銅像は木津勘助というお方の銅像との事で、調べてみると

「本名を中村勘助といい、天正14年(1586年)相模(神奈川県)で生まれました。豊臣秀吉に仕え、堤防工事や新田開発に尽くしました。 徳川時代に木津川の開削により大阪の発展に寄与した功績とともに、寛永16年(1639年)に近畿一円が冷害にみまわれ大飢饉の様相を呈したとき、米(大阪城の備蓄米)放出を願い出ましたが聞き入れられず、私財を投げうって村人に分け与えました。それも限度がありついに「お蔵破り」を決行したことなどから今なお敬愛されています。 「お蔵破り」の罪で葦島(現在の大正区)に流され万治3年(1660年)75歳で亡くなりました。墓は唯専寺にあります。」との事でした。勉強になりました。

 大国主神社詣りの後、会社に戻り、年頭の挨拶として、「今年の景気は、去年同様、成長継続になっていますが、北朝鮮の問題や原料高の可能性も予断を許さず、将来における高齢化問題、人手不足問題を考え、より一層努力していくこと」を年頭の挨拶で社員全員に話をさせていただきました。

 私は当然なのですが、お得意様、仕入先様に心から必要とされる会社となるべく、今年も努力していく所存ですので、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします。

注)大国主神社の写真を添付します。