使徒?からの攻撃が止んで
平和な日々を過ごしている
アルコールを飲まず、
毎日数時間勉強し、
鍼灸の古典を読んでいる
こうして自分のペースを取り戻してやっと
理解不能だと思いこんでいたことも
理解可能に思えてくるものだ
HKは面白がり、牧師をそそのかしているが、
桜庭一樹さんの記事は心に染みた
3日前、日経新聞の書評欄で読んだ
思い返してみれば僕自身も同じような勘違いをしたことがある
2007年2月から4月にかけてのことだった
でも、もうすっかり過去のことで
今では自分でも笑ってしまえる
非日常的にで華やかに見える世界
好意を示し癒すことが習慣であるポジション
そんな世界と人にかかわったとき
解釈の間違い、誤読が積み重なっていく
僕の場合
タレントや有名人のファンになったことがなかった
会ったこともない人を好きになるなんてあり得ないことだった
それが、特殊な事態になり、一応はお互いに知り合うことになると
事情が大きく変わってしまった
たくさんの人が注目するメディアに
明らかに自分のことを意識した記事が出る
そんなめくるめく非日常に初めて入り込んだとき
自分を見失いはじめた
そこは、迷宮の入り口だったのだ
そういうしだいだったのにどうしてこんなにコケにされなきゃならないんだ?
と思うけど
考えてみれば
多くの人が誰かのファンになったり
叶わぬ恋に身を焦がしたりした経験を
健全に積んできてるのだろう
とくにマスコミにはそういう人が多いんだろう
僕はそういう経験をちゃんと積んでなかったんだと今にして思う
それに比べたら
牧師の勘違いなんて無理もないこと
子育てと仕事に追われる夫人が思い込みに暴走するなんて普通のことだ
もう何人も見てきた
そして、
ある日を堺にころっと変わって
何事もなかったかのように堅実な生活を再開することもよくあること
もう何人も見てきた
暴走するのは一過性のことであり
そのためにバカにされるのも一過性のことなのだ
ちゃんと改めれば、いつまでも引きずられる筋合いなどなくなる
聖書日課はメルマガなどでいくつか読むようになった
中には、僕が読んでいることを知って書いてるものもある
はじめからこうしてれば良かったんだと今ごろ思っている
どこの教会もそれぞれに
この世界にかけがえのない大切な活動をつづけている
友人の牧師が書いているものだけを読んで信じ込むなんて
不公平だ、視野が狭い、といわれても仕方がない
少数意見を無視してはいけないけど
少数意見だけを聞くのはもっといけないことだ
牧師に対しては
体制打倒を主張するのを止めること
僕に贔屓を求めるのを止めて掟を守ること
この2つを説得していくと約束している
なぜこの不公平については批判がないのか?
僕を攻撃するのに好都合だからという以外の理由は
僕自身が健全な人間関係を築いていけるまっとうな人間になるべきだからだと理解している
しかし、だからといって不公平であることに変わりはない
節操を無くせば贔屓にしてもらえて願いが叶う、なんて掟破りの前例は絶対につくらない
運命に従い、生きていくのに気をつけておくべきこと
それは、これからも出てきて、僕を襲うだろう
一つ一つをしっかり受けとめて
同じあやまちを3度4度と繰り返さぬよう気をつけたいと思う
みんなには落胆や不信、懐疑・・・等々いろいろと嫌な思いをさせている
申し訳なく思いますm(_ _)m
さて、明日は8月6日
今年はいつもより前向きな気持ちで迎えたい