うーん…

何がいけないんだ?

ほんとのほんとにさっぱりわかんない


女友達に彼女の前の夫に子どもができたと連絡があったとメールで話した。

彼女は以前から前の夫と連絡をとっていた様子で、このことはすでに知っているに違いない

僕が連絡とって気軽にこんな話をしたというのは自然なことだし、あまり気を遣うとかえって変だと思う

たしかに、前の夫に聖書ブログのことを知らせることはなかったかとは思う

そういうことならわかる
 
 
あるいは、

エゼキエル書の16章が、姦淫のたとえだらけで、その文章に一言一句の無駄もないというのがおかしってことかな?

ほんとに歴史を調べて、感心して思ったことを書いただけで、それ以上の意味もそれ以下の意味もまったくない


あるいは、

前回の日記で、得意分野とか本業を外してはいけないというのがおかしいのかな?

ぶどうの木が材木として役に立つかというお話だから、この話が適切かなと思って書いたのであって、それ以上の意味もそれ以下の意味もまったくない


あるいは、

イスラエル王国の南北に分裂したという表現がまずいのだろうか?

うーん…どうなんやろ…



あるいは、
 
本当に家宅捜索したいってことかな?
 
いつでもやっていいですよ
 
調べたいことがあるのなら、前向きに協力します。
 

意見があるのならちゃんと言ってほしい
 
 
もうほんとにノイローゼぎみで

頭の中でも同じ思いをぐるぐる回ってしまう

勉強にも仕事にも集中できなくなる

こんなことでは本当に生きていけなくなってしまう


もうほんとのほんとに

やめてほしい


2月から5月にかけての日記にざっと目を通してみた

 

牧師目線で読んでみた

 

 

2~3月はまじめに聖書日課についていってる

 

我ながら、つたなくて健気でかわいく見える

 

 

映画「チェンジリング」の感想では

 

闘う牧師のことをおもいっきり賞賛してる

 

 

4月9日の日記に寂聴さんの「堕落論」について記事を書いてる

 

夫と幼い娘を捨てて文学の道に飛び込んだという過去をむしろバネにして書いてきたというお話

  

 

4月末頃には自分の肝臓をよくしていきたいということでマリアアザミの記事を書いた

 

父がタバコを吸って部屋に雲が浮いてるみたいと書いたのはまずかった

 

思い出してみると、牧師の夫は家の中でタバコ吸ってるのだ(ちゃんと換気扇の前でだけ)

 

だからマリアアザミの記事は牧師にとってはサインに違いないと思えたわけだ

 

 

 

4月2日にお詫びを書き、3日に説明を述べたけど

 

牧師にしてみれば、高揚した感情はそう簡単には収まらない

 

今にして思えば、無理もないことかと思う

 

 

2月頭からリスクを負いながらも聖書日課メールを送りつづけてくれたのだ

 

気負うのは当たり前すぎることだ

 

そこから走り続けて受け入れられない過去を積み上げてしまったことを咎めることができるだろうか?

 

同じシチュエーションにあって、同じ状況に直面して

 

同様な思い込みをしない人が、果たしてどれだけいるだろうか?

 

 

それに

 

リスクを承知で僕にかかわってくれている人のことを

 

僕はもっと気にかけて意識してブログを書いてしかるべきだった

 

 

あれだけ血湧き肉躍るほどに勇ましい記事を書き

 

運命を共にするかのような発言をしていたんだから

 

牧師から見れば、僕の発言はすべて自分のことがちゃんと意識されているに違いないと

 

そう思っても無理もないことなのだ

 

 

こう考えると、本当に申し訳なく思う

 

たいへんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ない

 

 

 

そして、イエス様に紹介してくれて、本当にありがとう

 

この感謝は決して忘れることがない

 

この関係は誰の目からみても明らかで疑いようもない証であり

 

モデル不明の物語として後世に語り継がれるであろう

 

 

 

 

 

10月26日の日経新聞朝刊にこんなのがあった

 

脂質の高い人は脳卒中低リスク

 
コレステロールには
善玉のHDLコレステロールと悪玉とされるLDLコレステロールがあって
LDLコレステロールが増えないように治療されたり、食事や運動をするように言われるんだけど
 
実は・・・この悪玉とされるコレステロールや中性脂肪の値が高い人の方が
脳卒中を起こしにくいという意見が出た
 
東海大学の大櫛陽一教授らがまとめ、日本脂質栄養学会誌に発表した
 
この先生はこう述べておられる
「(悪玉とされる)LDLコレステロールも中性脂肪も実は善玉なのに、リスクが強調され、無駄な治療がなされている」

 

 

先日も、「ふとりすぎ」の人の方が「やせ」の人よりも死亡率が低いという記事があった

 

メタボを治療しようと大々的にキャンペーンが展開されているけれど、

 

メタボとか、太っていることが、ほんとにそんなに問題なのか?あやしくなってきたのだ

 

 

 

 

 

それと、

 

僕は実は・・・離婚問題に巻き込まれているのだろうか?利用されているのだろうか?

 

そんな疑問が湧いてきた

 

 

僕は大学の先輩を本当に尊敬している

 

先輩と出会ってなかったら、今の僕は存在しない

 

僕は大した人間ではないけれど、自分ではそれなりに気に入ってる

 

反省すべきことは多いし、これからやり直したいと思っているけれど

 

あのとき違うことをして、別の人生を歩めば良かったなんて過ぎたことを想像することはあまりない

 

これまでの人生も、今の自分も好きでいられる

 

だから、今の自分へ導いてくれた、多大な影響を与えてくれた先輩のことを尊敬している

 

 

先輩と出会ってなかったら

 

女性の問題もよく知らなかったし、討論とかしてめったにない経験もしてきた

 

先輩と出会ってなかったら

 

ホームレスの問題なんかまったく知らないで、かかわることもなかっただろう

 

先輩と出会ってなかったら

 

在日韓国人と日本人としてかかわることもなく、国家というもののことも考えずに生きていただろう

 

先輩と出会ってなかったら

 

障害者が自分の力で人生を切り開く可能性と直接出会うこともなかったかもしれない

 

 

みんなが何を見て何を知っているのか?僕は知らないけれど

 

本当の対話をして、本当に正直な気持ちを聴くことができるのは僕なんだ

 

 

だから騒がないでほしい

 

僕とかかわる人が次々とやり玉に挙げられるのかと思うと

 

僕はもう誰にもかかわれなくなる

 

生きていけなくなる

 

 

 

 

 

先輩からは共産主義思想も教わったけど

 

ガチガチの教条主義とはほど遠く、多様な価値にとても寛容な人だ

 

 

教わったことばは

 

依拠すべきなのは理論ではなく、抑圧されている人たちの気持ちなんだ

 

革命家は人民に奉仕する

 

 

 

 

 

本当に自分のことが好きでいられるのなら

 

好きな自分にしてくれた人たちを自分勝手に利用する気になんてならないし

 

なんだかんだあったにしても

 

本当の危機が迫ったら、助けたくなるものなのだ

 

 

 

 

 

それで、同時にみえてくるのは

 

牧師さんは、愛されているという実感を失っているみたいだということ

 

これが問題の本質なのかな