
②やよい軒でまだ食べたことない新作定食を食べたい。帰宅途中にレンタルビデオでアルケミストのCD探して、家帰ったらネットで視聴できるとこ探したい。
んー自分を振り返ってみると、また堅くなってる。恋愛関係になるとなぜか堅くなることは何十年も前からわかってる。意中の相手がいざ目の前にいるとぜんぜん機転が利かなくなることも、久しぶりに学生になってみてやっとわかった。
そして、今度は、あの女性を口説きたいとみんなに宣言すると、自宅でゆっくりネット検索することさえろくにできなくなってる。実に困ったことだけど、問題点がわかったんだから、これは大きな前進だ。
③昨日のアルカホー飲料は0ml
今日は慰霊の日。琉球新報に興味深い記事を見つけた。
沖縄県援護課によると、沖縄戦の全戦没者は20万666人。そのうち日本軍の軍人・軍属が9万4136人で、沖縄の民間人が約9万4千人。実は民間人の死者はもっと多いという説もあるから、これだけでも沖縄戦がいかに特殊な戦争であったかがうかがえる。
さらに、これまで沖縄戦は「唯一の地上戦」と言われてきたが、今年5月21日から「国内最大の地上戦」に変わったそうだ。樺太でのソ連軍による無差別攻撃により約3700人の民間人が死亡したという事実に基づいている。樺太でのソ連軍による無差別殺戮はまことに遺憾なことであり、二度と同じ過ちが繰り返されることがないよう、歴史が風化しないように訴え続ける必要があると思う。
ただし、沖縄戦の特徴は戦没者が20万以上という数の多さだけではない。軍民の一体化が図られ、民間人が米軍による攻撃の的にされたという質的な違いがある。日本軍による沖縄民間人のスパイ視、塹壕追い出し、幼児の絞殺、強制的な死に追いやられていったという史実がある。日本の領土で日本軍によって多数の民間人が死に追いやられた「唯一の地上戦」と言っても過言ではないかもしれないと社説で述べられている。
慰霊の日はアメリカにも広まってるようだ。
カリフォルニア州サンディエゴ市でも、慰霊の日に合わせて平和記念行事が今年初めて開かれるそうだ。市内の「アジア太平洋戦争記念碑」前で黙祷をささげるという。
発信源は国境を挟んだ隣町にある。メキシコのティファナ市では例年、日本人協会が同時刻に黙祷する。この行事の発案者は元オレゴン州立大学教授のマイク井上氏。米ジョンポール・カソリック大学の学長らに声をかけ、慰霊の日を世界に広める市民団体を設立した。井上氏らがカリフォルニア州のサンディエゴ市市長やチュラ・ビスタ市市長に行事の説明をし、賛同を得た。両市は日系人が多くて沖縄にも理解が深いそうだ。
沖縄戦で白旗を掲げて米軍に保護された「白旗の少女」に敬意を表し、日系人少女が三角形の白旗を掲げて参加者の先頭に立つという。
軍事政権、あるいは軍関係者を背景とするのテロの脅威に支配された政治状況というものは、現代でもあるだろう。また、そのような国が戦場になることもあるかもしれない。そして、破壊された戦場跡地に基地がつくられるかもしれない。
何のための戦争だったのか?何のためのプレゼンスなのか?沖縄戦戦没者慰霊の日は、それらすべてを一体的に問うことができる普遍性をもってると思う。
④今日はお客さんに感謝。久しぶりに来店された常連さん。「じゃ、また」との言葉を小声ながらいただいたのだ。
院長先生は、学校卒業してからも勉強することたくさんあるだろうから来なさいと言ってくれた。骨盤矯正、O脚矯正、ぜんぶ教えてあげるから、と言ってくれたのはすごくうれしい
いつまでいるかわかんないけど、いろんな手技を精一杯吸収したいと思ったのだ。⑤出エジプト記4章11-12節
主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」
イザヤ書6章9-10節
主は言われた。
「行け、この民に言うがよい
よく聞け、しかし理解するな
よく見よ、しかし悟るな、と。
この民の心をかたくなにし
耳を鈍く、目を暗くせよ。
目で見ることなく、耳で聞くことなく
その心で理解することなく
悔い改めていやされることのないために。」
モーセの召命シーンとイザヤの召命シーンから、神様の似たセリフをピックアップしてみた。
障害者への偏見を考慮すると微妙なんだけど、どうして障害を負って苦しんだり、病気にかかって亡くなるのだろう?って昔の人が真剣に考えたとき、何らかの意味を読み取ろうとしたんだと思う。だから、障害を負うことも、病気にかかることも、神様のご計画の一部で、その意味を僕らが理解することなどできないってことになる。障害を負わされたのは先祖が悪いことをしたからだとか、病気にかかったのはあなたが罪を犯したからだ、などと詮索してみても、どこまでいっても憶測にしかならないんだろう。むしろ、僕らの勝手な詮索こそが偏見、差別の元になるのだろう。
ていうか、これらの箇所のメッセージは障害や病気のことではないはず。晴眼でもみえず、健聴者がはっきり聞いても聞こえない。たしかに、僕にも、読んでもわからないことがたくさんあるのだから、誰にでも当てはまる普通の話じゃないか。
