再会 ~蘇る青春の日々~ | Kobakenの「努力は必ず報われる!」

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この世で最も美しいものは、無意識の親切(by Kobaken)

9月も間もなく終わり、2015年が暮れるまで残り3カ月となった。

どうも、今年の9月は雨が多く、台風も訪れ、私の勤務先の高校は、文化祭直前の多忙な時期に休校が続いてしまった。


ところが、外の天候とは対照的に、私の心は、どうもここ最近仕事で失敗が多いながらも晴れやかだった。時にブルーになることがあっても。

私の青春時代を彩ってくれた、年下女性がそばにいてくれて・・・・・・。


というわけで、ここから先、私の十八番である「青春時代ネタ」「感謝ネタ」となります。人間関係の構築が不得意な私の数少ない友人が登場します。友人ネタなので、BGMとして私の好きなタレント・倉持明日香ちゃんのソロデビューシングル『いつもそばに』を聞きながら、キーボードを打っております(作詞者である倉持いわく、「私の友人との思い出を歌にしました」)。



再会は、今月上旬のこと。

私の高校は、教育実習生の受け入れの時期に差しかかっていた。

以前から何度も言っているが、勤務先は母校。愛校心の強い私は、1年半前に教員としてカムバックした。そのため、教育実習生は、活動時期の近い後輩ということになる。したがって、友人の兄弟や、部活動の後輩の友人など、何らかのかかわりを持つ実習生が毎回来ているのだ。

そして、教育実習の時期は、私にとって4度目だが、この時期には、いつも自分の実習の日々を思い出し、「実習生に見られているのだから頑張らなければ」と気合が入る。


さて、今回の実習生の中に、英語の教員免許取得予定の先生はいなかった。いつも少なくて、私も自分ひとり。多くて2人なのだが、ゼロというのは私が着任してから初めてだ。

英語の実習生がいれば、研究授業を参観し、忌憚なき意見を与えることができるのだが、今回はそれもできないと思われた。

しかし、私が英語の次に好きで、得意としていた科目が古典。高校に配属される国語の実習生は、ほぼ確実に古典を担当し、私に授業を参観され、アドバイスをもらって大学に戻っている。自分の授業が入っていて研究授業を参観できなくても、「同じ範囲を事前にやるクラスがあったら、見学させてください」と指導担当教諭に頭を下げ、参観したこともあった。



そろそろ本題に入ろう。

実は、私にとって2年目となるこの年に、私はどうしてもこの学校に残っていたかった。そして、古巣である部活動(書道)の顧問になりたいと考えていた。

初年度の激務や重圧に耐えきれず、退職を考えていたこともあったが、「そういえば、来年度は俺と親しかった子が実習に来るんだっけ」と、遠い日の記憶の中からその「親しかった子」と過ごしていた時間を掘り返し、踏みとどまっていた。

そして、部活動指導も、100%ではないが私の思い通りにはなっている。「尻の青い教員が顧問をやりたい部活動を自分で選ぶことはできない」という周囲の言葉をかき消して。


5月。実習生のオリエンテーションが行われ、現場での指導担当教諭が決定し、顔を合わせ、教材を受け取る。

「親しかった子」との再会を楽しみにしていたのだが、待てど暮らせど、姿を現さない。

6月。前期教育実習開始。「親しかった子」の姿は、実習初日の朝礼になかった。

まあ、私の人生なんて、幼少期から意図していた通りにならなくて、そんなことにはもう慣れたのだが、ここまでツキがないとは・・・・・・。

それにしても、あの子は教員をあきらめたのか。あれほど夢に見ていて、この学校で実習をしたいという熱い気持ちを、私に語ってくれていたのに。

でも、まだ9月に後期の実習がある。その時に再会できなかったら、3年契約を結んだ私のラストイヤーである次年度を楽しみに待とう。きっと、持ち前のバイタリティーで留学でもして、大学卒業を1年遅らせたのだ。気持ちを切り替えた。


そして9月。実習初日を前に、後期教育実習生のリストが職員室の黒板に貼り出された。

「親しかった子」の名前は・・・・・・、発見! そうか、楽しいことは後回しにするタイプか。ショートケーキのイチゴは最後に食べるのだろうか。

その子は、母校で4年後輩にあたる女性で、私の部活動の後輩。高校の国語(古典)の授業を担当することになり、3週間の実習を始めようとしていた。

さらに驚くことが。なんと、私の配属学年に入るのだ。

担当クラスは、私がかかわっていないクラスではあったが、知っている生徒はいるので、いろいろ教えてあげられる。制限時間いっぱいになった時の高見盛のように、気合が入った。

指導担当教諭は、国語科のベテラン教師。その先生は学年付のため、ホームルーム担当クラスは、その先生が担当されているいくつかのクラスからランダムに決まる。したがって、教科担当とホームルーム担当、2人の教師にお世話になることになっていたのだ。指導担当教諭が担任を務めていたという私とは、この点で違っている。


初日前日。私は、彼女が翌日から過ごすクラスに、帰りのホームルーム代行で入った(担任所用のため)。

それに際し、彼女の指導担当の先生から、次の日から実習生が来ることを伝えてほしいと頼まれていたのだが、みんなを早く帰宅させたい気持ちが強かったため、忘れてしまった(私のホームルームは短いことで有名である)。ただ、話し出せば、「実習生は私の後輩で」という話に走って、ホームルームが長引いたであろう。

ただ、担任の先生には話している。「私の後輩の女の子なので、なるべく優しくしてあげてください」と頼んでおいた。私が過去に彼女から受けた優しさを返してあげるかのように・・・・・・。


実習初日。私は朝、特に何事もないかのように、職員室のデスクに座って授業準備をしていた。

朝礼開始5分前、実習生が職員室に来る。

私は背中で、懐かしい声を聞いた。「コバヤシ先輩、コバヤシ先輩!」

彼女が、自分の夢を叶えた瞬間が来た。3年ぶりに会った彼女を見て、「今日も一日、いや、この先ずっと頑張ろう」と決意した。私と直接的なかかわりのある実習生が来るのは、この時が初めてだった。なので、この実習期間が、4回あった期間の中で最も気合が入っていたかもしれない。

ただ、彼女は私にとっては「後輩」「親しい人」だが、学校全体からすれば「教師の卵」。他の先生方が教師として接し、他の実習生が私を「先生」と呼ぶ中で、先輩後輩の関係を丸出しにするのはどうなのかと考え、私は「『先生』と呼んでね」と指示したが、その指示が、私を3週間、軽く苦しめることになってしまった。

とはいえ、部活動に戻れば、先輩後輩の関係に戻してあげた。私を「先輩」と呼ぶことを許して。


そして、彼女が友人と一緒に実習を受けていることもあって、私は友人にも紹介された。

今回は英語の実習生不在。きっと、彼女がいなければ、不器用な私は他の実習生と濃い関係を築くことはできなかっただろう。5年前の夏からそうだったが、まだ恩を受けている。



今回の実習生にとっての最大のイベントは、文化祭。私が教員という立場を少しだけ捨て、卒業生に戻れる大切な行事だ。

今年度から書道部の顧問になったということで、準備の手伝いから参加した。それも、スポーツ大会で着た、授業担当クラスの優しい男子が「先生の分も」とくれたクラスTシャツに着替えて(体育的行事の時にしか着ないなんて、もったいない!)。

彼女は、担当クラスの研究発表の手伝いの合間を縫って、展示に必要な道具を運んでくれた。実は、私の知らないうちに、表具なども手伝ってくれ、おまけに、先輩である私の学校での様子を、部員に尋問していたとは!


道具の運搬が一通り終わったところで、後輩と過ごすうちに、青春時代が蘇った。

卒業後もクラブの文化祭の手伝いに足を運んでいた私。当時現役部員だった彼女。

卒業式にも来ていた私。何を考えたのか、AKB48の曲を踊り狂った私を、嫌な顔ひとつせずに見ていた彼女。

私の知らないうちに、書道部の後輩との間に、確かな人間関係が築かれていた。

彼女は、自分と一緒に活動していた後輩を、文化祭に招待してくれた。「コバヤシ先輩が、教師やってるよ!」と言いながら。そうなると、クラブに遊びに来るたびにスベる話をしていた私がどのような教員になったのか、自然と興味が湧いてきて、当日は何人もの後輩と再会できた。

バイタリティーあふれ、楽しいことが好きな彼女は、「いつか卒業生だけで飲み会をやりたい」という野望を抱いていた。私がそんな彼女に幹事を任せようとしたのだが、逆にお願いされてしまった。私の人望や集客力を、あてにしているのか・・・・・・。というわけで、現在、日程や場所を調整中。



文化祭も終わり、大きな行事の後で、先輩と後輩は実習期間中に、教員と実習生として、どのような日々を過ごしたのか。そして、私が後輩に伝えたかったこととは。後輩が私に伝えたかったこととは。続きは、次の記事で。