休日は普段とは違う事をしたい。
…というのは昔からそう思ってるというか、気付くとそうしてきた気がします。
逆に言えば、
『普段している事はしたくない』
…という感じ。
要は仕事でしている事はしたくないし見たくないし…という。
前はですね、仕事と言えば体を動かすけど特定の施設の中で過ごすので、休みの日は異常なまでに外出願望がありました。
休みの度にチャリで遠出する訳です。
もしくは帰る前にウィンドウショッピングに行ってみるとか。
現在はと言うと…
『外に出たくない』
…いやマジで。
4月から部署が変わり、ひたすら外を歩く。
歩く事自体は苦にはならないし疲れない。
コレだけなら『外に出たくない』なんて思わないと思う。
原因は、
嫌でも目立つ。
嫌でも人に見られる。
時には罵声を浴びせられる。
喧嘩を売られる。
自分が失敗してクレームが来るとかではなく、自分にはどうする事もできない状況での一般の人からの蔑みの目や好奇の目。
人の目が嫌。
小さい頃から“視線”という物が苦手です。
『目は口ほどにものを言う』というのは本当。
マイナスな感情程よくわかる。
今の仕事はそういうマイナスの視線を否応なく感じる。
視線だけじゃなく、直接言うのではなく聞こえるようにわざと「そこまでしなくて良いだろうが」とか「あんたらは何でもかんでもやるんだな」とか捨て台詞を言って去る人。
そう言ってくる人は、本当に普通の人なんだよ。
その辺を歩いてる人。
買い物してる人。
時にはヤの人もいるけど…
もしかしたら友達の友達とかかも知れない。
そんな普通の人の蔑み・好奇・憎しみに似た視線を向けられる訳。
視線を出すのは普通の人。
人の中に行きたくない。
休みの日はだから外に出たくない。
出る時は、こっちの顔もこっちからも周りが見えないように帽子が手放せないようになってます。
元々帽子は好きだから良いんだけど、最近は『顔が見えないように』という理由で被ってるかも。
因みにウォークマン聴くのは元々『周りの声を聞きたくないから』なんで、今は外出しながらも完璧『独りの世界』になってますね。
どんな人でも、立場が違えば酷く残酷な事を平気でする可能性がある。
何も知らないのに、その仕事をしている人の人格まで勝手に決めつける。
時には見下して見る。
そんな人の目を見ると、凄く嫌な気分になる。
知らない人だから、関わりが無いから、何をしても、何を言っても、関係ない。
『悪いのはあんたの方だ』
という、無意識の目。
気持ち悪い。
本当に見たくない。
そういう目をするのが、そこで友達と笑ってる人だったり、家族で楽しそうに休日を過ごしている人だったり、ゆっくり買い物をしている年配の人だったり、スーツを着て仕事をしている人だったり…そういう事実。