あの人は今?
いやいやいやあの教会は今?
村の小さき教会、今もここにありや
なんて賛美があります
そういう教会って自分が逃げ出した後にどうなるか気になりませんか?
これはあくまでワイの想像力が生み出した参案
もしも話だと思ってください
もしも…カルト化した教会が何も変わらないでそのままなら
同じような事をしている間に教会のメンバーは続々高齢化
変だと思って声を上げる信徒にまあ圧力をかけるかける
そのせいで礼拝に出られなくなった信徒も出現
力の暴走は治まるところを知らず
自分に異を唱える役員を強制辞任させ
そんな役員が出る奉仕部に腹心を置いて信徒に圧をかけ
過去にいじめて追い出した人間の名前に緘口令を敷き
そこまでしても
過去の栄光を手放せない牧師は焦る焦る
その結果、締め付けを強化!って感じで礼拝メッセージは非常に律法的に
神様のみこころに対するアンテナよりも
牧師である自分に従順ではない人へのアンテナの感度だけは良い
役員選挙は辞退者が相次ぎ
そのありさまに疲れ果てた信徒は教会を離れる
そんな有様が浮かびます
見てらんねえよ
これって誰のためなの?って思うと全部牧師のメンツのためなんだよね
神のためじゃないんだなこれが
こんな虚しいことに付き合わされるどころか支配されている人は哀れだ
こんな教会はリアルにあると思う
神の羊泥棒になっている牧師のことはどうでもいい
そこで傷つき盗まれた信徒が神様のもとでちゃんと癒されるっていう
落とし前を神様がちゃんとつけてほしい
盗まれたものとはいえ、もともとは神様のものだ