1チェックポイント(15キロ地点)を過ぎてすぐに、もめてる夫婦?を見ました。

夫がもうこれ以上歩きたくないようで、一人で帰ろうとしていました。

嫁は、なんでやめちゃうのみたいな感じで一緒に歩くために夫を説得しているようでした。

夫は付きあっとれんわという感じで、逆方向に歩いて行ってしまいました。

おそらく、嫁が100キロウォークに興味を示し、無理矢理夫を参加させたのでしょう。

取り残された嫁のゼッケンには、「絶対あきらめない」と書かれていたのが、印象的でした。

私はその夫婦を追い越して先に行ってしまいましたが、あの夫婦はいったいどうなったのでしょうか?



2チェックポイント(35キロ地点)を過ぎてから、今年卒業する高校3年生のK君と一緒に歩くことになりました。それまでは私はさびしく一人で歩いていたのですが、知らない人と一緒に歩くのも悪くないなと思いました。

このあたりで早い人たちとすれ違うことが増えてきました。

中には走っている人もいたのです。(3チェックポイントが折り返しです)



K君は礼儀正しく、とても感じの良い青年でした。

K君はあの有名な岡崎高校出身だと言うではありませんか。(愛知県NO.1か?)

アホな大人だと思われてはいけないと、私は少しかしこまってしまいました。



K君は防衛大学に進学が決まっていて、その後、自衛隊になると将来の夢もはっきりしており、大人顔負けのしっかりした高校生でした。

震災の直後で関東にはあまり行きたくなさそうでした。

K君の友人で東北大学に入学が決まっている人たちはもっと大変だよねとか防衛大に行ったら給料はもらえる(公務員扱い)けど、実家に帰る時間がないとかいろいろなことを話しながら折り返し地点まで一緒に歩きました。

折り返し地点ではおしるこも用意されていて体が温まりましたが、体が少しずつ動かなくなってきていることに気付きました。



K君は未成年のため、父親とともに参加したらしいのですが、父親はどこにいるのか聞きました。するとK君の父親は熱を出していて、後ろから追いつこうとしていると言うのです。なんで一緒に歩いてないのか不思議ですが…。

夜も遅くなり、未成年は保護者と同伴しなければならなく、K君は父親を待つと言うので、ここでお別れして、私はまた一人で歩きだしました。

K君、一緒に歩いてくれてありがとう。がんばってください。)



そこそこの人たちが折り返し地点で、夜も遅く寒くて眠いのでリタイアしているようでした。50キロで満足している人もいたようです。はじめから50キロ目標かも?

私の折り返しが夜の10時くらいだったと思います。

ここから一人の道のりがどんどん苦痛になってきました。

足が動かなくなってきたのです。しかも痛い。

またこれが目茶苦茶寒いのです。のちに分かったことですが、このときの最低気温が0くらいだったらしいのです。3月の終わりでこの寒さはこたえます。

練習のときは真夜中ではないのと、歩くスピードが違うため、体が全く温まらないのです。

また、服装のチョイスも失敗でした。こんなに寒くなることを想定してなかったのです。



65キロ付近の第4チェックポイントに到着したころには

参加者がほとんど確認できないようになっていました。(前後に誰もいない)

大半の人が寒さ、眠さ、痛みでリタイアしていくのです。

前半のスピードの出し過ぎが問題ではないのかとも思いました。

それでも私は足を引きずってでも歩ききると決意していたので、どんなに足が痛くても歩き続けました。昔、サッカー日本代表のラモス瑠偉が「足の骨を折ってでも日本をワールドカップに連れていく」と言っていたのを思い出しながら。



春日井100キロウォーク第三章に続く