情報社会においてはインターネットの普及により知識的な格差がなくなったというニュースをよく耳にする。
私はむしろ、現代の情報社会は知識的格差をより拡大していると考えています。


まず、考察したいのは知識を構成する2つの要素である。

 

私は、知識とは文字通りの言葉を知っているという「知識」と「知力」の合成物ということです。

知力とは言ってみれば知識を元に考える力のことである。例えば、小論文の書き方自体の言葉としての知識があり、それを元に考える知力があれば知識として認めらるということです。


次に上記を踏まえた上で知識的格差の本質を理解する。知識的格差とは言葉としての意味を知った上で考える知力の格差のことです。


さて、本題に入ります。

 

確かに現代の情報社会においてはインターネットの普及により知らない言葉でも、図書館に行って百科事典を調べる必要はなく、わずか数秒の間に言葉の意味を調べることができる。しかしながらそれは言葉としての知識に過ぎず、知力を構成するに当たらないということです。


確かに、言葉の意味はすぐに調べれるのであるからそれは十分に知識として機能していると考える方もいるでしょう。

 

では、考えていただきたいのが、なぜ池上彰の話に皆が耳を傾けるのでしょうか?

 

それは言葉としての知識に加えてそこから生み出される知力に感心するからではないでしょうか??
スマートフォンを片手に持ちインターネット検索で言葉の意味を調べることは知識の向上にならない。そこから考えられる知力を身につけなければ知識的格差は広がるばかりである。


加えて言いますが、前筆のように情報社会における知識という言葉を文字通りの言葉の意味を知っていると勘違いすることにより情報社会における知識的格差が広がっていくのであります。

 

我々の業界でも多くの情報が出回ります。

 

書いてきたような知識的な格差が広がった中でどのような知力が生み出されるのでしょうか??

ラインで出回る情報を見て誰がどのように知識を向上させているというのでしょうか??

 

最近の稼働低下の理由というのはコンサルティング的な要素よりも根幹的な知力の低下が原因と論ずる人がいないこともまた危機的な要因のようにも感じます。(非常に回りくどい言い方ではありますが)

 

パチンコ業界には機械やテクニカルな部分への評論をする人間は存在してもマクロな目線で知力を振りかざす人間は数少ないように思います。

 

いつもでも陳情を警察庁にし続ける業界団体、全くもって議員会館でのロビー活動をする人間がいないという体たらく。

 

私たちは前を見て日々の営業をすること、知識、知力の拡大をするしかないのであります。