昨日は手始めに好きだった映画のレビューをしてみたので、今日は逆に、絶対許せない!!と強い憤りを感じた本作について書いていく。

ただし、これはミュージカルをはじめとする『CATS』というコンテンツについて一切無知だった私が、純粋に映画作品として鑑賞した感想であって、広く一般的に本作を貶める意図は一切ない。

一人の根暗オタクが衝撃を受けた瞬間の体験記として、映画『CATS』が好きだった人にもぜひ読んでほしい。


◼️あらすじ
満月の夜、美しい白猫・ヴィクトリアは、ロンドンの路地裏に捨てられてしまう。
そのゴミ捨て場で出会ったのは、個性豊かで元気いっぱいの「ジェリクルキャッツ」たち。

野良猫として生きる彼らについて回るうちに、生まれて初めての新鮮な景色をたくさん見ることになるヴィクトリア。

やがてヴィクトリアは、今夜がジェリクルキャッツたちにとって特別な晩であることを知る。
今夜の舞踏会の中で長老猫・オールドデュトロノミーに選ばれたたった1匹だけが「天上」へ召され、生まれ変わることが許される。

三者三様の歌とダンスを披露し、「天上」を渇望するジェリクルキャッツたち。
ところが、悪名高い犯罪猫・マキャヴィティの魔の手が舞踏会にも及んできて……


…と、我ながらなかなか素敵なあらすじが書けたのではないかと思う。面白そう。

そもそも私はこの映画を公開初日にわざわざレイトショーで観に行っている。
映画の前評判はリサーチしないタイプなので海外でことごとく酷評されていることも知らず、
「大人気ミュージカルの映画化なんて、絶対すごい!感動するに違いない!」
と期待値MAXでウキウキしながら真剣に観たのであらすじをバッチリ覚えているのである。ところが…


◼️ここがある意味すごい!映画『CATS』
いや、ポスターだけでは気付けなかった自分にも非がある。しかし、やっぱりどうしても、

キモすぎるやろ、猫人間…😭😭

ゴミ捨て場の暗がりからわっさわっさ猫人間が湧いて出てきたとき泣いちゃうかと思ったよママ…


ミュージカル版ではどんな風貌なんだ?
とふと気になって調べた結果、


いやめっちゃ素敵やん😭😭

ダメだった?全身タイツでもふっとしたかつら(?)被った人間の演技ではダメでしたか?
猫たちの個性もこちらの方がはっきりする気がするのですが…。

なぜか妙に毛が薄い猫人間CGより抵抗感なく見られる気がするのは、気のせいなんだろうか…。

とにかくもう、初っ端のとても楽しくミュージカル感のある曲「Jellicle Songs for Jellicle Cats」のとき、
この猫人間に目を慣らすことでいっぱいいっぱいになった。勿体なさすぎる。


しかし、私が絶対に許せないとまで言っているのは、決してそこじゃない。

今回そこまで強い反感をこの映画に抱いたのは、この映画が観客の期待を煽るだけ煽ってその期待に一切応えないスタイルをとっていると感じたからなのだ。


ところでこのレビューを書く前に、
というか気になりすぎたので映画を観終わったあとすぐに
ミュージカル版『CATS』について、
そしてその原作となったT・S・エリオットによる詩集「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法」(The Old Possum's Book of Practical Cats)について、
少しだけ調べてみた。

実際に観劇したわけではないので定かではないが、
ミュージカルにおいては24匹の猫たちが登場し、それぞれの生き様を描く構成になっているようだ。
一舞台でそれだけの猫たちが登場するとすると、ドラマを描くというよりは、
曲やシーンの魅力を繋ぎ合わせて作られている可能性が高い。

そして詩集は全15篇で構成されており、全体を通してのストーリー性はないようだ。

つまり元からこの作品は、起承転結がある物語」ではなく、その世界観を楽しむ散文的な性質を持っているのだ。

映画においても、この『CATS』世界の楽しみ方を心得た人が観たならば、
舞台とはまた違った『CATS』世界の一面が垣間見えて満足できるのかもしれない。

しかし今回の映画化にあたっては、
言わずと知れたスーパースター、テイラー・スウィフトを起用し、
『レ・ミゼラブル』の名監督、トム・フーパー監督のもと
大々的に宣伝されて制作が行われた。

つまりは、テイラー目当てのミーハー層や、
監督のファンであるという『CATS』世界の新規顧客がたくさん観るだろうということを、
当然想定の上で制作されただろうし、されるべき映画である。

恐らくはその点を意識し、ミュージカル『CATS』よりもライトな客層にも受け入れられるよう、
映画『CATS』においては、上述したあらすじのように、ある程度まとまった筋書きが与えられている

…かのように見える。

ところがどっこい、声を大にして言いたい。

このあらすじ、ニセモノですよーーーーー!!

物語っぽいもの」を各所に散りばめて、
その後一切膨らませることなく終わりまーーーす!!!

ここなんですよ。

どうせなら、原作やミュージカルの『CATS』の世界を映画で体験させてくれるような、
詩的な世界観で構成された、まぁ言ってしまえば観てもよく分からず寝てしまう人が多そうな映画に仕上げてくれていればよかった。

でもこの映画においては、なんとなーく観客を引き留めるためだけに、
「物語の種」となりそうな美味しい要素がふんだんに散りばめられ、
そして最後までその要素が活かされないまま終わる。

そういう不誠実な脚本づくりに、
どうしても憤りを隠せない。


◼️散りばめられた「物語の種」
では、本作に散りばめられた(一見)魅力的な物語要素とは。
ここからは、そこそこネタバレを含みます



上記でもすこし触れた、猫たちの登場シーンで歌われる素敵な歌「Jellicle Songs for Jellicle Cats」。

ここで観客は初めて「ジェリクルキャッツ」という単語に触れ、
ああ、この野良猫たちは自分たちのことをそういう集団だと認識しているわけだ、と納得する。

ここで当然、ちょっとだけ疑問が頭をよぎる。

ジェリクルキャッツって何だ?

もちろん観客はまだ焦らない。
明かされない謎というのは映画を観る際の素晴らしいスパイスであって、
観ていくうちに、そういうことか!と視界が開けてゆく瞬間を、むしろ楽しみにしている。

ところが、もちろんこの謎は最後まで解き明かされることはない。

結局ジェリクルキャッツって何だったんだ?という思いを抱いたままエンドロールを眺める。

作中を通じて、なんとなく
ジェリクルキャッツ=人間に飼い慣らされることなく、自由を謳歌して楽しく生きる猫たち
のことを指すのであろうと、もちろん推測することはできる。

でも、最終的に「天上」へ召される猫として選ばれるかつてのスーパースター・グリザベラは、
「ジェリクルキャッツ」たちにひどく嫌われ、仲間外れにされて惨めな日々を送っている猫だ。

▽凋落してしまった姿に憂いがあり、魅力的なキャラクター。

じゃあ、グリザベラはジェリクルキャッツじゃないのか?

だとしたら、選ばれようと頑張っていたのは主にジェリクルキャッツの仲間たちなのに、
選ばれるのはグリザベラ…
なんだか、全体的にそれでいいのか?感が残る

漫画やアニメ、小説、映画、
ありとあらゆるエンタメに親しんできたオタクだからであろうか、
なんか、そこは謎のまま残してほしくなかった。(個人的わがまま)

だってロケット団もズッコケ三人組も、
チーム名ついてる奴らは俺らこういう者なんだぜ!!って堂々と誇りを持っててカッコイイじゃん。
例えが古いかな…


「答えはそれぞれの胸の中に…」みたいな余韻を残すパターンは嫌いじゃないけど、
ここじゃなかった感の方が勝った。


ここでグリザベラについて触れたので、
もう一点この重要なキャラクターであるグリザベラについて、猛烈に抗議したい

本作にはもう1匹、強い存在感を放つキーキャラクター・マキャヴィティが登場する。

▽純真なヴィクトリアに不吉な囁きを。悪い男。

彼は悪役として最初から不穏な雰囲気を醸し出しまくり、
終盤においても舞踏会の参加者を謎の船上に超能力で誘拐したりオールドデュトロノミーを殺そうとしたりやりたい放題なのだが、
かつては劇場のスーパースターだったという過去を持つ



ん?




そうなのです。
実は、落ちぶれて嫌われ者になってしまったグリザベラと、
悪名高き犯罪王のマキャヴィティは、
かつて共に舞台を沸かせたスター同士。

激アツ展開やん……。

もうすごい。ここからこの2人の運命を分ける、
壮大で素晴らしいドラマが生まれる予感がムンッムン。


いや、何もなかったからね。

嘘やん。
こんなに美味しい設定、なぜ活かさない?
主に据えられてもおかしくないこの設定、忘れられてるんじゃないかと思うくらいスルーされまくった挙句、
グリザベラとマキャヴィティの共演シーンすらほぼなかった


しかも後から気づいたけど、
ミュージカル『CATS』においては、グリザベラは劇場のスターではなく、元娼婦という設定。

せっかくのオリジナル設定、もっと活用してくれ……


ちなみにさっき触れたマキャヴィティの悪事に用いられる古船だが、
いったいどこの海に浮かんでいるんだか、なんの船なんだか、よく分からん

さらに言うならばマキャヴィティはだいぶ自在に超能力なのか魔法なのかよう分からん能力を操るのだが、
それも使える猫と使えない猫がいるらしく、よく分からん

そもそも、「天上」に召され、生まれ変わるということが、なぜそこまでこの猫たちにとって魅力的なのか、そこもよく分からん

いや、分かるっちゃ分かるけど、
舞踏会の参加者の1匹・ジェニエニドッツというおばさん猫のように、

「あたしもうゴキブリやネズミと戯れてぐうたら過ごす生活は嫌なの!イェーイ!」

みたいなテンションの猫もいれば、

スキンブルシャンクスのように、
仕事にやりがいを感じて真面目に働いてきたことをアピールする猫もいる。
(この子に関しては生まれ変わりたい理由もよく分からなかった)

で、最終的に選ばれたのは、
みすぼらしい姿になり、皆にも嫌われて切実に人生やり直したそうなグリザベラ。

なんか…まぁそうなんだろうけど…

帰着点として、一歩間違えば「生まれ変わればすべてハッピー!今生の罪は赦される!」
みたいな結論になってしまいそうでは…?

それでいいんだろうか。描き方を変えれば再生の物語として素晴らしいものになりそうなのに、
わちゃわちゃと焦点の絞り切れていない作品に仕上がってしまったが故に、
薄っぺらく、容易な結末に見えてしまっている気がしてならない。


他にも、純真な白猫・ヴィクトリアと嫌われ者・グリザベラの交流の中で生まれた小さな友情だとか、

捨てられてしまった猫たちの悲しみだとか、

映画中ではあまりにも唐突かつ雑に発生していたマジック猫・ミストフェリーズとヴィクトリアの恋模様だとか、

▽顔が可愛い。が、後半ヴィクトリアと前触れもなく謎の急接近を遂げていてオラびっくらこいただ。無害な顔して飲み会でちゃっかり歳下の女持ち帰るタイプだったんやなキミ。


ひとつひとつ掘り下げたらすごいドラマが生まれそうな要素を敢えて見せつけてくるのに、

ぜーーーーーーんぶ膨らむことなく、
物語中の朝を迎え、映画自体も終わってしまった

観客はこの映画において、
どの物語要素に集中して観たら良いのか分からないままに様々な選択肢だけを終始提示され続け
そのどれ一つとして結実を得ないまま、
エンドロールを茫然と眺める羽目になる。


『CATS』の世界観を否定するわけでも、
いわゆる起承転結のような分かりやすいストーリー性がない映画を否定するわけでは決してない。

ただ、宣伝の仕方と映画の内容がマッチしていなかったこと、
映画それ自体が、何に重きを置いて制作したものなのか混乱してしまっていること、

これらが結果的に観客を裏切ることとなってしまった。

この映画の後味の悪さの正体はそこにあると私は思う。


◼️まとめ
☆☆☆☆☆ 0/5
極端な評価で申し訳ないが、エンタメ的な楽しみ方もできず、
主にビジュアルの問題で世界観も充分に味わえず、
個人的な嗜好の問題でビビッとくる曲もなかった私としては、評価のつけようがなかった…。


ちなみに映画のラストシーンでは、朝焼けの中で「天上」に召されるグリザベラを見送ったジェリクルキャッツたちが、
急に画面の向こうの人間に説教を始める

ここまで人間との関わりはあまり作中でも描かれず、メタ的な視点も用いられていなかったにも関わらず、

貫禄たっぷりのオールドデュトロノミーにドアップで真正面から見つめられ

なぜか「猫に話しかけるときはこうしなさい」みたいな説教をされる。歌で。

え、なんで急に…と最後まで疑問たっぷりだったが、原作の詩集の目次を見ると、

「14. 猫に話しかける法」

の項があった。
いや、いくらなんでも、








雑すぎるだろ

と、思って終わった2時間だった。
突っ込みどころ満載だけど、そういうものだと思って映像や曲を楽しみに行けば恐らく楽しめる。

酷評しといてあれだけど、ぜひ。

◼️公式サイト