今日は、ハワード・ホークス監督の「無限の青空」(1935年、CEILING ZERO)を紹介したい。

 

「シーリングゼロ(雲底高度ゼロ)とは、地上から雲までの飛行可能な空域が霧、雨、雪などで覆われた状態を指す。「雲底高度ゼロの天候で飛ぶ勇気のあるパイロットはいなかったが、航空郵便のパイロットが自分の命以外は危険にさらすことなく単独飛行して乗り越えていった」といった内容の前置きがある。

 

舞台はフェデラル航空のニューアーク支局。責任者のジェイク(パット・オブライエン)は、旧友のディジー(ジェームズ・キャグニー)がデンバーから異動してくることを知る。ディジーは優秀なパイロットだが、幾多もの規則違反を犯し、かつ女癖の悪い、いわゆる問題児であった。この2人は私生活でも親友とのことだが、息はぴったりだ。

 

パイロット仲間のテキサス(スチュアート・アーウィン)は恐妻家。妻のルー(イザベル・ジュウェル)は、ディジーを毛嫌いしている。 

 

ジェイクの妻メアリーには、マーサ・ティベッツ。彼女はディジーを嫌っていないが、それには理由がある。

 

ディジーは赴任してすぐにまだ19歳の新人トミー(ジューン・トラヴィス)をくどきにかかり、彼女に思いを寄せるテイという若者(ヘンリー・ワズワース)の存在など意に介さない。

 

ディジーはトミーと2人の時間を作るため、病気を装ってクリーブランドへのフライト任務をテキサスに替わってもらう。しかし、雲底ゼロの悪天候の中、ニューアークに戻ったテキサスの飛行機は、着陸に失敗し、この事故で死んでしまう。

 

病院に立ち会っていたディジーは、極度の悲しみに襲われたルーに謝罪するが、結局テキサスは死んでしまう。

 

これまでに起こした問題のためパイロット免許剝奪で再交付も叶わなくなったディジーは、悪天候で飛行しようとしたテイを殴って気絶させ、自らパラシュートも備えず乗り込み、嵐と氷結の中を飛行し、命を落とす。

 

キャグニー演じるディジーは、冒頭から「いけ好かない奴」としてしか描かれていない。彼の詐病のため、代わりに任務を引き受けたテキサスが悪天候での飛行で危険にさらされている最中にこうしてデートを楽しんでいるわけで、観ている側が彼にわずかでも感情移入するのは難しい。テキサスの死後、大きなショックを受けたディジーが彼女にアパートの合鍵を渡して、後で行くから待っているようにと伝えたのは、心の拠り所を失ったための行動と好意的に見るべきなのか。

 

元パイロットで事故で、今は掃除夫として雇われている男マイクにギャリー・オーウェン。

 

原作が戯曲ということでせ、管制室内部が舞台となり、そこを登場人物が出たり入ったりしながらドラマが展開する。悪天候の中の飛行の危険な様子を、無線が途絶えて着陸が困難になった管制室のやりとりで描くが、その緊張感たるや、約90年前の映画とは思えぬものがある。ホークス監督の手腕に依るところ大であろう。