片江ノスタルジィ |   + Mother Lake +

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ボクが育ったのは島根半島の先端にある片江という漁村、その昔は以西底曳き網片江船団発祥の地として栄えたところです
生まれてから2歳半までを船団の母港がある山口県下関ですごした後、両親の故郷であるここ片江に戻ってきました。


車は小学校に停めておきます。何年か前に廃校になってしまいましたが、今でも取り壊されずに残っています。
裏へまわると草ぼうぼうで荒れ放題、甲子園の蔦も真っ青っす。(表側の写真は5月編をご覧ください。)



実家の2階のボクの部屋からは海が見えます。夜になると波の音ももちろん聞こえます。



歩いて2.3分の海岸へmizzと2人でかけていきました。

以前は砂浜だった海岸はほとんどが護岸で固められてしまい、泳げる砂浜はごくわずかしかありません。
なんでこんな無意味な開発をしてしまったのかまったく理解できません。漁師を専業にする人は数えるほどしかいないのに、船を係留するためにほとんどの砂浜を埋め立ててしまいました。



真っ暗になるまで走り回った、車も入れない路地は今もそのままです。でも建っている家は新しい家が多くなりました。



この左側の石垣には沢蟹がいてよく捕りました。
そうそうこの石垣の上には柿の木があったのですが、落ちた柿に沢蟹が群がっているのをよく見かけました。沢蟹って柿が好きなんですかね?



石垣の向こうが6歳まで住んでいた借家です。ところが.........去年はあったはずの家がない!!
5月には気がつかなかったけど、草が生えているだけの更地になっていました。



海辺にあったこの家は石垣を一歩下りると砂浜、船小屋をくぐればすぐに海です。高潮が来ると庭一面が海になるという困ったところもありましたが、ボクはこの家が大好きでした。

借家の主は看護士を永年しているおばさんで松江の病院から10日に一度ぐらい帰ってきていました。つまり大家さんと同居という変わった借家。おばさんは一部屋だけを使っていましたが、部屋に飾ってある般若のお面が怖くっておばさんの部屋に行くのは苦手だった。笑

↓ここを一歩下りると砂浜、脇にはイチジクの大木があって実がなるのが毎年楽しみだったのに根こそぎなくなっています。



玄関は土間になっていてカドウマっていうバッタみたいな虫が年中ぴょんぴょん跳んでいて、トイレは外、夜トイレに1人で行くのが怖くて仕方なかったっけ。庭先に井戸があってその傍に生えている南天の木には雨になるとカタツムリがよくくっついてたっけ。
雨が降るたびに箱に入れて飼っていました。

そんなボクの原点とも言える家がなくなってしまいました。南天の木も、はなれのトイレも、井戸も、花壇も。
今の家に引っ越して32年、この家は借家の主がなくなられてから、荒れるに任せていましたがついにこの日が来てしまいまいた。


感傷に浸るボクを横目に、「お父さん、はよ、釣りに行こっ!」走り出していくmizz、こら-------!!
お父さんがせっかく感傷に浸ってるのに......
ボクもこんなだったのかなぁ......と駆け出していくmizzを見つめながら...........いや、クーラーボックスじゃなくって「びく」だったよな。笑



周りの景色はずいぶんと変わってしまったけどボクもあんなふうに駆け回ってたっけ。
mizzが中学生にでもなれば足も遠のくんだろうな。 


と、いうわけでこのあと船に乗っての釣りです。