この内容は
21歳で永眠された
娘の親友のE君を偲んでの
投稿となります。

昨日もそうですが
この話題をブログに取り上げようか
悩みました、、

心の整理がついてから
とか思いましたが
多分、この先いつまでも
心の整理はつかないと
私も感じてます、、

彼のゼミの先生が
彼に送ったお手紙に
こう書かれていました

人間は、2度死ぬと言われています。
1度目は、肉体が機能を停止したとき。
2度目は、忘れられたときです。
誰しもが死を恐れ、亡くなった人の話をするのを
避けようとします。
しかし、私は、ゼミの中で
君が生き続けることができるように、
ことあるごとに君の話題を
持ち出そうと思っています。

私もそうしようと思います
私達の中で
いつまでも彼が
生き続けられるように、、、



11日土曜日 お通夜の日

名古屋から1時間ほど離れた
半田市で
お通夜とお葬式が行われました。

私はこの日
どうしても済まさなければならない
用事があり
お通夜は欠席ショボーン

日曜日の出棺前には
戻ってくる事をNママと娘に約束して
県外に向かった、、


娘は
訃報を聞いたその日に
戻って来たがっていたけれど
授業と
インターンのミーティングがあり
当日の朝、東京から帰宅し
Nママに
早めに行ってお手伝いしたい
Eちゃんのために
友達として
出来る事は最後だから

とメッセージすると
喜んで応じてくれた、、

納棺の前にE君に会いに
家を出た、、

パパさんがE君の家まで送ってくれた


ここからは
娘に聞いた話になります

会いに向かってる車の中でも
パパさんと泣きながら
行ったそうです、、

E君だけどE君じゃない、、

初めてご遺体を目の前にした
それが、
おじいちゃんでもおばあちゃんでもなく
E君だなんて、、

その後、彼の大学の先輩や仲間が来て
彼らが納棺をしてくれたようです、、

私はこのような行いを
初めて聞きました、、



お通夜、お葬式共に
家族葬を予定していたけれど

彼に一目会いたいと
来られた方達

大学仲間や関係、先生、、
京都のバイト先、友人達

そして、
中高関係

お通夜
その方達だけて
200人は超えていたと
言ってました。

会場に入りきれないほどの方が
駆けつけてくれたようです。

家族葬の予定で
会葬御礼を20くらいしか
用意していなかったらしいけど
300追加したそうアセアセ


ですが、、

お香典を誰からも
頂かなかったのです


会いに来てくれただけで、、

その気持ちだけで嬉しいと、、
Nママの気持ちです。

親元から離れて3年、、
彼が京都でどんな生活をしていたのか
物語っていますねえーん

会場は全員が号泣
泣き叫ぶ声が外にまで響き
故人が愛された何よりの
証拠です、、


あとでNママと会った時
お花なんて届くなんて
思ってもいなかったから
会場の白い壁を見て
ここ寂しいだろうなと
思っていたそうです

ところがどっこい
次から次へと
置き切れないほどの花が

母一人、子一人
卒業後は愛知県に戻って来て
母を助けると言っていたE君、、
悔しいね、、
心配だね、、



Nママに
お通夜のあと
泊まって行けないか
と言われたらしく

着替えも何も持ってないし
親族の中に一人⁈
そんな想定外の言葉に
戸惑うも

着替えも準備もわたしが
なんとかするから
一緒にいて欲しいと、、

きっと娘を通して
E君を感じたかったんでしょうね、、


そして
お別れのカウントダウンが
始まります





中学生の時に

留学生を

ホストファミリーとして

受け入れた時も

一緒に空港まで迎えに行きましたニコニコ




最後まで読んで頂き

ありがとうございます。