【五百立神社】(いおたちじんじゃ)

 

 

 

 東大寺南大門から大仏殿に向かって北へ130mほど進んで左手(西)の丘(五百立山)の麓に鎮座しています。

 

 

朱の鳥居の奥に朱の垣に囲まれて小さな祠があります。

 

当社の右手に参道が奥に延びておりその先には、「鉄道職員殉職者供養塔」の石造十三重塔が立っている。

 

もとはその場所に鎮座していたが、昭和七年頃、この塔を建立するため遷座されたらしいです。創祀年代は不詳。式内社・五百立神社に比定されている古社です。「五百立」と書いて「イホタチ」と読みます。

 

手向山八幡宮の末社として、古来「五百餘所社」と称しており、天喜四年(1056)五月の東大寺j起請案に、八幡大菩薩や気比気多などの諸神名と共に連記され嘉祥元年(1106)の東大寺要録にも名が記されているらしいです。

 

寛喜二年(1230)十月、正倉院宝物盗難事件があり盗難犯が、鏡八面を五百餘所社に一時隠したと東大寺続要録に記されているらしいです。祭神に関しては、社名から建五百建命とする説もありますが、現在の祭神は天富命です。

 

天富命は、手置帆負命・彦狭知命の子孫を統率する建築の神です。一説には、天平年間、大仏殿修造の時に活躍した五百余人の番匠(現在の大工)を祀るとも伝えられています。 

 

 

アクセス:近鉄奈良駅より 徒歩15分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【大国主命神社】(おおくにぬしじんじゃ) 

 

 

ならまちの商家の庭に祀られた神社です。創祀・由緒など不詳。昭和14年に旧地の隣に移転し、社殿などを新築したそうです。 広い敷地は、もともとこの地にあった「奈良晒」の大きな商家のものです。

 

 

 

 

 

 

商家移転の際に「家運隆盛は大国さまのおかげであった」として、町内一同が引き続いて大国さんをお祭りすることを条件として、その敷地を町有のものとして寄贈されたそうです。境内には藤棚が有ります。

 

祭神:大国主命

 

明治6年頃、椿井小学校の前身となる櫻鳴舎(第四番小学校)が開設されていました。

 

東側の建物は社務所、北側の建物は住居ですが、現在は住む人は無く、普段門は閉まっています。 所在地;奈良市東城戸町。

 

アクセス:近鉄「奈良」駅下車、徒歩7分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大国主神(おおくにぬしのかみ)

 

日本神話に登場する神。国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされる。出雲大社・大神神社の祭神。

 

『古事記』・『日本書紀』の異伝や『新撰姓氏録』によると、須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。父は天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)、母は刺国若比売(さしくにわかひめ)。

 

また『日本書紀』正伝によると素戔鳴尊(すさのおのみこと)の息子。日本国を創った神とされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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