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それは、北九州重工業地帯の真ん中、八幡港でのことでした。
近年は、北九州は、もう工業地帯ではないらしいので、大昔のことになるのでしょう。
夢野昭七は、港のガードの仕事をしていました。
八幡港に入って来る、外国貿易船の監視です。
諸外国から入って来る、鉄鉱石積載船、石炭積載船、
そして出来た鋼鉄、鋼材を積みとって帰って行く貿易船の船員さんの監視です。
我が国、日本に、外国から原材料が到着し、臨海工業地帯で製品化され、輸出されで行く、
それが、大東亜戦争に負けた後の、物質時代の成長期の日本の姿でした。
そんな歴史の一コマの中で、必死に、日本、日本人は生きているのでしたが、
夢野昭七は、そんな時に就職して世の中に出、
そして、八幡港の通船桟橋の監視に、出ているのでした。