到津球場跡 | かずとのたびのブログ いい出会いと記憶 田舎爺の人生

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「画像はほとんど拝借です」
爺の故郷は山の裾 トンボも蝶チョも飛んでいた
過ぎ来し方を振り返り 明るく生きて参ります
孫の成長楽しみに いつか旅立つその日まで

北九州市小倉北区上到津二丁目の交差点に

 

小倉到津球場跡の記念碑が建っています。

 

 

その裏面にある由来には、

 

  この地は、左翼85メートル、右翼125メートルの小倉到津球場跡で、

 

  大正12年に建造されました。

 

  当時、九州野球界のメッカとして、製門戦等がさかんに行われ、

 

  数多くのプロ野球選手を輩出するなど、

 

  ファンに広く親しまれていました。

 

 

  昭和9年11月26日、日米野球対抗戦に於いて球界のスーパースタ-、

 

  ベーブルースが出場し、

 

  7回裏右翼観覧席へ、予告ホーマーを放ち、

 

  ファンを魅了したエピソードを残しています。

 

 

 

と記されています。

 

戦前、日米野球で米国野球団が訪日し、有名なベーブルースが予告ホームランを打った、

 

という話は聞いていましたが、

 

まさか、北九州市小倉での話とは知りませんでした。

 

製門戦の「製」とは八幡製鉄、「門」とは門司鉄道局のことで、


製門戦は、九州のみならず、全国的にも有名は定期戦だったそうです。

 

 

 

戦後、八幡製鉄は全国各地に展開を行い、

 

全国各地に重工業地帯が発生展開していくにつれ、

 

北九州重工業地帯は消滅し、

 

教科書からも消えてしまいました。