郵便配達は二度ハガキを見ない。 | 木村和人、パパ木村、或いは、キムキムと呼ばれる男。

木村和人、パパ木村、或いは、キムキムと呼ばれる男。

ほぼ三つの呼び名が存在しますが、ほぼ同一人物かと思います。

昨日は朝に申告書を提出して、その後カホンかついで大阪市内に出没。
こういう日は普段の何倍も歩けるので、体にええ感じです。

それにしても、阪急梅田からJR大阪への連絡通路、駅ビルができてから更に凄いことになってますね。
ヨドバシ梅田でさえ強烈にでかいイメージがあったんですが、あの駅ビル(なんか呼び方キメはったんでしたっけ?)は更にそれを凌ぐ。

中学?の時に国語の教科書に載ってた『智恵子抄』を思い出しました。
大阪にも空がない。

いや、それを憂う気持ちなんて全くもって無いんですが(智恵子さんもそういう表層的な事を言ったわけではないと思われ…)、帰りにJR側から歩いて来ると今度は右手にビル群と観覧車で…。
この雑然とした感じが大阪スタイルですかね。


それはさておきタイトルは、申告書作成中に思い出した数字に関する認識の仕方のことでして、計算したり、表に書き写したりする際に、最初は数字を「読んで」いるんですが、その内「見る」だけになってくるんですよね。
記号というか形?として。

12345を「いちにさんよんご」とか、「壱万二千三百四十五」ということでなくて、「12345」という一つのカタチとして。

だから、54321 とかのいろんなパターンのカタチを扱う感じです。


ここで、郵便局で勤めてたときのことを思い出したと。
なぜ今年急に思い出したかは不明。

専業音楽家になる前は、それこそ色んな仕事を時に月~金、場合によっては月、月、火、水、木、金、金のフルタイムでやっておったのですが、そんな中、郵便配達員もやったことがあります。

郵便配達の基本は、郵便物の仕分けから始まります。

勿論、機械化されてるとは言え、郵便番号で整理できるのは「〇〇県〇〇町」までですから、番地はバラバラに出力されてきます。
結局最終的には、配達員が自分の担当地区を、配達順に並び替えるわけです。

この作業を、あのバイクの後ろカゴ一杯分の(実はあのカゴは底上げできますので、郵便物が多いときは実にその倍の積載が可能です)葉書や封書について行うわけですから、そのスピードが問われます。
一枚一枚「読んで」いては日が暮れると。

つまり、「〇〇県〇〇町◯丁目△ー◯ 姓・名」というカタチを見て判断→次のカタチへ。
という繰り返しをしまくるのです。
どうでしょう、1秒につき2枚くらいは繰らなイカンのでしょうか。
作業的には指サック命です。


やりはじめの頃は、「住所と名前は同時に見るんや!」と言われて???でしたが、なるほど、慣れてくると出来るようになります。

当然ながら、そのカタチの一つ一つを見ただけで、実際に配達される家のイメージもセットで浮かばなければなりません。

そうでないと、たまたまある家に郵便物がない場合、そして、2~3件それが続いた場合、その次に出てきた郵便物が何処に配られるべきなのかの判断&スタートダッシュが遅れるからです。

(それと、これは余談ですが、郵便配達員は自分の担当区域のお宅の家族構成とか、或いは近隣に親戚が住んでいるとか、そういったことも覚えています。
郵便物を配る際に必要なので。
これについては、全ての御家族に会うということはありえませんから、流石に画像付きではありませんが…。)


…と、まずは局内で重要な作業をしてから、やっと街に繰り出して行くのでした。
そして、現場までトップスピードで駆け抜けて、配達開始と。

で、勿論配るときも、郵便物はチラッと一瞥……。


…あ、二度見てますね。