全日本ロードレース選手権/私事のご報告 | 坂田和人 オフィシャルブログ Powered by Ameba

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この度、「全日本ロードレース選手権 第5戦 筑波大会」のJ-GP3クラスにエントリーしました。

 

まず最初にお伝えしたいのは、全日本参戦のエントリーは行ないましたが、実際のレースに出場するか否かは予選の前後で最終的な判断を下します。

 

このような考えで望むのは良くないと思っておりましたが、周りからの後押しと次世代を担う子供たちへ出来ることを考え、今の自分が出来る範囲のことをやろうと思いました。

 

チーム名:Mistresa・MuSASHi sc./TC

参戦車両:ホンダ NSF250R

チーム名は、昭和電機株式会社様のご支援と今回の参戦コンセプトでもある次世代を担うライダー育成のため、私が校長を務めるMuSASHi sc.(スカラシップ)、ご協力を頂くオートスポーツセンター様 (筑波サーキットを略してTC) としております。その他、多くの方のご支援・ご協力を頂いております。この場をお借りして 御礼を申し上げます。

 

 

数年前の2013年に佐々木歩夢選手、2015年に三原壮紫選手と一緒に走り各々のチームが用意したNSF250Rで1時間ほどのレクチャーを行なったことがあります。その時点で「自分のバイクとして仕上げるのは難しいな…」と感じました。

今回、NSF250Rをレースに出るために仕上げるのは初めてのことですが、このような経緯もあり、ここまでの流れ (セッティングやタイム) は善くも悪くも私の予想通りでした。

 

今年の8月で52歳。仮に1周のタイムが出せたとしても、世界グランプリ (WGP) を退いてからの19年という歳月により、レース感・体力・集中力が衰えているのは否めません。それに加えて、NSF250Rで初めてレースをすること、また4ストロークマシン (私のGP時代は2ストローク) と馴染みの薄いホンダ車両に手を焼いているのも事実です。問題点が多いと言うことは、裏を返せば改善された分だけタイムが上がるとも考えられますが…。

 

 

本来であれば、5月下旬の時点でエントリーを止めるつもりでした。しかし、今回ご協力を頂いている昭和電機株式会社・柏木社長が「納得いくレベルに到達できなければ、レース出場はキャンセルするという坂田さんの意思を尊重します。」と言うお言葉を頂き、「チャンスを頂けるのであればギリギリまで全力でやってみよう」と決断いたしました。

 

「ネガティブな思考」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、周りに過度な期待をさせたくありませんし、これまでのレース経験では自分の置かれている状況を冷静に判断できたからこそ、世界チャンピオンを獲得できたと思っております。それがこのような言葉になっただけで、今でもその考え方に変わりはありません。

 

 

坂田和人の主な戦歴

1988年  筑波ロードレース選手権     ノービス GP125 チャンピオン獲得
1989年  全日本ロードレース選手権  ジュニア GP125 チャンピオン獲得
1990年  全日本ロードレース選手権  国際A級  GP125 チャンピオン獲得
1991年  ロードレース世界選手権  GP125 ランキング13位 (ホンダ)
1992年  ロードレース世界選手権  GP125 ランキング11位 (ホンダ)
1993年  ロードレース世界選手権  GP125 ランキング2位 (ホンダ)
1994年  ロードレース世界選手権  GP125 世界チャンピオン獲得 (アプリリア)
1995年  ロードレース世界選手権  GP125 ランキング2位 (アプリリア)
1996年  ロードレース世界選手権  GP125 ランキング8位 (アプリリア)
1997年  ロードレース世界選手権  GP125 ランキング4位 (アプリリア)
1998年  ロードレース世界選手権  GP125 2度目の世界チャンピオン獲得 (アプリリア)
1999年  ロードレース世界選手権  GP125 ランキング14位 (ホンダ)
* ロードレース世界選手権 (WGP) が改称されて、現在の「MotoGP」となる

 

その他、ここまでの経緯等の詳細は、以下をご覧下さいませ。

 

 

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以下<MFJ SUPERBIKE HP>より

 

後進にレースに臨む姿勢を見せるために参戦を決意

News 2018/06/13 10:30:36

 

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2度世界王者を獲得した坂田和人が全日本第5戦筑波J-GP3クラスへスポット参戦する準備を進めている。現在、「MFJロードレースアカデミー」「MuSASHi RT HARC-PRO. スカラシップ

」など後進の育成に尽力している坂田だが、その生徒に後輩ライダーの息子がいた。その息子を始めとした後進ライダー にレースを戦う姿勢を見せるために参戦することを決意。Mistresa RT HARC-PRO.として全日本ST600クラス、MFJ CUP JP250を戦っている昭和電機株式会社のバックアップを受け、今回のスポット参戦が実現した。

 


昭和電機株式会社様を始め、多くの皆様のご支援・ご協力を頂き感謝しております。世界グランプリを退いて19年。正直、どこまでできるのか、やってみないと分かりません。現実はそう甘くないことは十分に分かっています。 本格的始動は、3月30日の筑波サーキットとなりました。その後も練習を重ねていますが、全てがゼロからのスタートのため、限られた一般スポーツ走行の中で納得のいくマシンに仕上がっておりません。 私がレースを行なっていた2ストロークと、現在の4ストロークは、全ての特性が大きく異なります。レースに出場するからには、自分自身が納得できる状態に仕上げたいのですが、いまだに手探り状態です。限られた時間で、マシンを仕上げることができなければレースへの出場は断念します。非常に厳しい状況ですが、頂いたチャンスを無駄にしないよう最後まで全力で臨みます」と坂田。


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このプロジェクトをバックアップする昭和電機・柏木社長も「次世代を担う子供たちに世界を制した坂田さんのリアルな戦う姿を見せることは本当にすばらしいことです。そうした意義あることが具現化できるよう、企業として社会のお役に立てることをしていくのは、常々に大事なことと考えています。 これを機会にぜひ往年のレースファンの方にもサーキットへ足を運んでいただき、モータースポーツのすばらしさ、奥深さに接していただければと思います。納得いくレベルに到達できなければ、レース出場はキャンセルするという坂田さんの意思も尊重します。坂田さんが、どう戦うか私自身とても楽しみです」とコメント。


坂田の全日本参戦は、2005年第3戦筑波以来、実に13年振り。このときは、2ストロークRS125Rで59秒697をマークして、コースレコードでポールポジションを獲得。レースでは、スタート直後の1コーナーで転倒。一度ピットに戻りコースに戻るとファステストラップを出す速さを見せた。


今回も納得できるマシンに仕上げることができなければ、レースは出ないと言うが、ファンとしては期待せずにはいられない。チーム名は「Mistresa・MuSASHi sc./TC」、メカニックはグランプリ時代を支えた弟の明彦さんが担当する。第5戦筑波ラウンドは、土曜と日曜にそれぞれ決勝レースが行われるだけに注目が集まるところだ!