昨日のブログで、青木宣篤選手のことを書きましたが、
宣篤と私は「1988年 筑波ロードレース選手権 ノービス125クラス」で一緒に戦ったことがあります。年齢は違いますが、レース界では同期なのです。
当時、青木三兄弟と言ったら、ロードレース界では有名でしたね。
宣篤は優勝のみ。しかし、1度ノーポイントがありました。私は2位と3位ばかりでしたが、そのノーポイントに助けられて、私は「筑波ロードレース選手権のチャンピオン」となりました。
時は流れて「1995年 ロードレース世界選手権 GP125」で三男の治親とチャンピオン争いを行い、私は敗れて治親が世界チャンピオン。
4・5年前には、次男 拓磨の息子と一緒にもてぎロードレース選手権 CBR250R ドリームカップで、一緒にレースをして色々と教えてあげたこともある。
現在は、次男の拓磨と日テレG+/MotoGPにて、レース解説のお仕事を行ってます。
日テレG+の「MotoGP座談会」では、いつも拓磨に突っ込みを入れてますが、憎めない奴なんです。
過去を振り返ると、意外と青木三兄弟と関わっていますね。
<HONDAのBoldor/RHEOSのポスター>
<拓磨/岡田氏/治親/宣篤>
こちらの画像は、青木三兄弟がWGP参戦をしている時だと思います。
他のカテゴリーで、三兄弟がここまでトップクラスで活躍した選手はいないでしょう。
(ボクシングで三兄弟がいますが、個人的には青木三兄弟の方が上の活躍だと思います。)
<世界で大活躍した青木三兄弟>