MotoGPプラチナセレクション/見どころ | 坂田和人 オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日テレG+ (日テレジータス)

 

7月23日(土) 再放送 … (1) 0:30~1:30/(2) 1:30~2:30/(3) 2:30~3:30

7月24日(日) 再放送 … (4) 2:00~3:00/(5) 3:00~4:00/(6) 4:00~5:00

7月25日(月) 再放送 … (7) 2:00~3:00/(8) 3:00~4:00

 

<以下、日テレG+のHPより抜粋>

 

 


(1) 1996鈴鹿 阿部典史大逆転初優勝
1996年、鈴鹿で行われたWGP日本グランプリ。最高峰クラスフル参戦2年目の「ノリック」こと阿部典史は予選で11位。しかし決勝では次々と順位を上 げていき、ついにトップに立ち、14年ぶりとなる日本人最高峰クラス優勝、そして自身初の最高峰クラス優勝を飾った。日本のバイクファン待望の「日本人ラ イダーが日本製のマシンで日本グランプリに勝つ」その瞬間に向け長髪をなびかせて快走するノリック。伝説のレースが日テレジータスで甦ります!



(2) 1993スペイン 坂田和人涙の初優勝
1993年第4戦スペインGP 125ccクラス決勝。レース前日の予選、若井伸之を不慮の事故で失い、日本人ライダーたちは決勝レースの出場に対して逡巡する。中でも、親友でありライバルでもあった若井を失った坂田和人の沈痛ぶりは凄まじく、周囲は心を痛めた。それでも決勝への出場を決めた坂田和人は、レースが始まるとトップを快走。 独人ライダーのラルフ・ワルドマンが猛追する中、必死に逃げる坂田。タイヤが限界に近づく中、幾度も転倒の危機を紙一重で脱する坂田の姿に、サーキット中が見えざる力を感じていた…。鬼気迫る坂田のライディングに観客はひとつになる。グランプリサーカス3年目にして初めて表彰台の頂点に立った坂田は、日の丸が掲げられる中、盟友が見守ってくれている天を仰いで涙を流し続けた。後に、2度の年間王者に輝いた125ccのスペシャリスト坂田和人、その初優勝レース。涙のレースを日テレジータスで初公開。



(3) 1997インドネシア 岡田忠之がドゥーハンを破る
1997年のWGP500ccクラスは13レースを終えて12勝とミック・ドゥーハン(オーストラリア)が席巻していた。ドゥーハンは'94年から3シー ズン連続ワールドチャンピオンに君臨しており、この年も5月に開催されたイタリアGPから負けなしの10連勝、既にワールドチャンピオンの座を確定させ、意気揚々と第14戦の舞台、インドネシアのセントゥールサーキットに乗り込んできた。ドゥーハンひとりに注目が集まる中、その連勝記録更新にストップをか けたのは、GP参戦5年目、最高峰500ccクラス2年目の日本人ライダー岡田忠之だった。岡田にとっての500ccクラス初優勝はドゥーハンに競り勝つというドラマティックなものだった。



(4) 1994アルゼンチン 坂田和人年間王者、上田昇驚異の追い上げ
1994年第13戦 アルゼンチンGP125ccクラス決勝。日本人が125ccを席巻した1994年。残り2戦となったこのレースまで、12戦のうちなんと10戦で日本人が優勝。ポイントトップ坂田和人は、日本人3人目の世界チャンピオンに王手をかける。ライバル上田昇は、最終戦まで持ち込むべくマシンを駆ける。「ノビー」 こと上田が、スタートを失敗しながら、圧倒的なスピードで次々とパッシング、最終ラップ、最終コーナーまでマルチネスと優勝を争う。坂田和人は負傷の痛みをこらえながら完走、世界王者を決める。日本人の強さが輝く歴史的レース。



(5) 2001マレーシア 加藤大治郎 年間王者決定の瞬間
2001年第15戦マレーシアGP250ccクラス決勝。当時25歳の加藤大治郎は、ここまで14戦で9勝をマーク。このレースで勝てば、日本人5人目の 世界チャンピオンとなる。ポイント2位も日本人、「クールデビル」原田哲也。灼熱のセパンを舞台に、ポールポジション加藤大治郎を、6番手スタート原田哲也が追う。このレース、優勝で見事年間王者を決めた加藤は、世界のスターダムにのし上がる。わずか2年後、若くしてこの世を去った加藤大治郎、愛らしい笑 顔と驚異的強さ…「ゼッケン74」を偲ぶ時、誰もが語り継ぐ歴史的レース。



(6) 阿部典史 ロッシも衝撃を受けた鮮烈の世界デビュー
阿部典史(ホンダ)は前年の1993年全日本選手権最高峰500ccに18歳でフル参戦、この年を最後に廃止が決まっている500cc最後の王者に最年少 で輝いた。翌年の1994年、日本GPにスポット参戦することになった阿部典史は予選7番手。他のライダーからはノーマークだった阿部典史は1周目に4位 まで上がりケビン・シュワンツ、ミック・ドゥーハンといった世界王者を相手に互角のバトルを展開した。19周目、後ろにドゥーハンを従えてトップのシュワ ンツを追っていた阿部典史は第1コーナーで大転倒! 残り3周というところでリタイアに終わった。このレースを見たバレンティーノ・ロッシが阿部典史のファンになったという。阿部典史はこの年、シーズン途中 にホンダからヤマハに移籍。翌年からウェイン・レイニーのチーム(ヤマハ)で世界GPフル参戦することになった。阿部典史が世界に衝撃を与え自らの力で世界の切符を手にいれた伝説のレース。



(7) 中野真矢 決戦は最終戦 0.014秒差で王者を逃す
世界GPフル参戦2年目の中野真矢(ヤマハ)がチームメイトのオリビエ・ジャックと年間チャンピオン争いを演じたレース。中野252ポイント、ジャック 254ポイント二人のポイント差はわずか2ポイント。243ポイントでランキング3位の加藤大治郎にもチャンピオンの可能性が残っている。レースは中野と ジャックが徐々に加藤との差を広げ二人のマッチレースとなった。中野はスタートから終始トップを走り2台はテール・トゥ・ノーズまま最終ラップへ。最終 コーナーを先に立ち上がったのは中野、このままチェッカーを受ければチャンピオンだった。しかしホームストレートで2番手のジャックが中野のスリップストリームから抜け出し、2台は並んでフィニッシュラインを通過。勝ったのはジャックだった。中野はわずか0.014秒差で惜しくもチャンピオンを逃してしまった。



(8) 原田哲也 悪夢の最終ラップ カピロッシに激突され王者を逃す
原田哲也(アプリリア)がチャンピオン目前でチームメイトのカピロッシ(アプリリア)に激突されチャンピオンを逃したレース。ポイントリーダーのカピロッ シは2勝で204ポイント、一方の原田は5勝で200ポイント。原田はカピロッシより上位で且つ2位以上に入れば年間チャンピオンになれるという状況。 レースは終盤、原田とカピロッシ、そして同じくアプリリアのバレンティーノ・ロッシの3人によるトップ争いになった。そして1位カピロッシ、2位ロッシ、 3位原田の順で最終ラップへ。カピロッシは2度のミスでロッシと原田にパスされて3位に後退、原田はこのまま2位でフィニッシュすれば5年振りのチャンピオンになれるはずだった。ところが最終コーナーのひとつ前の右コーナーでカピロッシの常識ではありえない無理な突っ込みにより接触! 転倒した原田はグラベル上で怒りをあらわにした。カピロッシはチャンピオンを獲得したがチームを追い出されることになった!

 

 

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ご興味のある方は、日テレG+「MotoGPプラチナセレクション」を是非ご覧になって下さい。