節分と立春の意味 | Kazuyaの真実を語る

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私は、「塩見和也」「京都府宇治市在住」です。

京都 塩見和也

明日(令和五年二月四日)は、『立春』。
神様的には、新しい年の幕開けです。


令和の意味は、
『神様から平和な世界を築けという詔(ミコトノリ)』
です。

いよいよ、
全く新しい世界の幕開けになるかも知れません。

今日は、『節分』。
大祓祝詞を奏上し、罪けがれの払拭を
神様にお願いし
神光で、洗い浄めていただきます。

節分は、「悪い鬼に豆をぶつけて退治する」と
常識として教えられていますが、
実は、鬼は、偉い神様、
『国常立尊』(クニトコタチノミコト)という、
三千年前に、
世界を平和に収めておられた神様のことです。

しかし、悪い人間に、暗殺されて、
東北(艮ウシトラ)、鬼門の方角に葬られた。
鬼門に神様を封じ込めるという、
凄い罪を犯しているのです。

それ以降、悪い人間が支配する世の中となって、
それが三千年続いているのです。

京都の吉田神社は、京都の東北(艮ウシトラ)、
鬼門の方角にあって、節分の行事が華やかですが、
正しいことを学んでいる私達は、
豆まきを積極的にやろうという
気持ちにはなれません。

神様を葬り去った悪い人間にとっては、
神様の怒りが怖いので、
鬼門封じをして、悪い鬼だと教えて、
毎年、節分に豆まきをさせているのです。

鬼に豆をぶつけて、鬼は外、福は内とさけぶ、
変な意味の分からない風習ですが、そういう
悪い人間の悪意、
呪いのようなものが込められているのです。

神道でも、豆まきをやる神社は、
悪い人間の論理に迎合しているわけですから、
信じる値打ちがないと思っています。

だから、豆まきをすることは、
神様に物ぶつけることになり、
毎年、罪を重ねているわけです。

決して、喜んでやることではないと思います!

むしろ、一年の大きな節ととらえて、
『大祓祝詞』を奏上して、罪汚れの払拭を、
神様にお願いするべきでしょう!

神様は、三千年間、
人間に好きなようにやらせて、
一人一人の魂の成長を見守ってこられています。

しかし、いずれは、元の神の世に戻るのですが、
その期限が、いよいよ近づいてきたのです。

それが、世の大峠、最後の審判です。

そして、そこで悪人が清算されて、
神の世、ミロクの世、地上天国が生まれるのです。

世の大峠で、悪人は滅びます。
ミロクの世は、真善美の全き世です。

善人にとっては、
ありがたいことであります。

結論》

一人一人、真善美を身につけて、
善なる身魂にならないと、滅ぶ可能があります!
自分は、善人のつもりでも、
唯物思想の中で、神様を否定し、
霊界の存在を否定し、
人間は死んだらお終いという
刹那的な生き方をしていませんか?

神様からみた善なる身魂は、どういうものか、
少し勉強した方が良いと思います。

残された時間は、刻一刻と少なくなっています。

これから世界は、
良くも悪くも大変革されると思います。
ぼーっと、今まで通りに、
物質中心の価値観で過ごすのではなく、
精神性の高い、美的感性にあふれる、
真善美に立脚した、
健全で慈悲深い人格をめざすべきでしょう!

少なくとも、神様に感謝する心、
生きていることに感謝する心、
利他愛の心を持てるように!

私自身の自戒も込めて!

2023.2.3 京都 塩見和也