私が何度も言っていることですが、老子の「無為」というのは、誰にも急がされず、自分のペースで生きていくことです。学校で受験競争を強いられ、社会で仕事を詰め込まれ、「やれ、成果を出せ」とか「もっと無駄のないように効率化せよ」とか、窮屈で不自由な時間から自分を解き放ち、自分の時間を生きることを「無為自然」というのです。流れる水のように自由自在に生きる、そんなことはできませんが、「人生とよばれる時間」だけは、自分で育て、自分が自由に生きる時間として、そばにおいておきたいものです。