この品には、このお経に説かれている教えを理解し、実行すればどんな功徳があるか、どんないいことができるか、どんなに世の為人の為に役立つことができるかということが詳しく、徹底的に説かれてあります。
信仰に功徳はいらないという人もおりますが、それは違います。正しい教えを本当に理解し、心から信じ実行すれば功徳がないことが不思議なのです。その功徳には信仰の程度によって大小があったり、功徳が現れるまでの時間に早いおそいはありますが功徳はあるのが当然なのです。
仏の教えは宇宙の真理です。その真理にしたがった生き方をすれば生命が生き生きと働くようになるのは当然のことです。以前に電波とテレビの話しをしましたが、放送局から出してくる電波の波長にテレビの受信機がぴったりと合えば鮮やかな画像が現れ、はっきりとした音声が聞こえてくるのと同じことです。
もしいくらダイヤルをまわしても画像が出てこないテレビならなんの価値もありません。そのテレビは必要がなくなり埃をかぶる運命です。このテレビの例えのように、いろいろな宗教がだんだんと力を失い人の心の片隅で埃をかぶっていくのは「功徳」を忘れたからです。
またここでいう功徳は死んだあとの功徳ではなく、この世に生きている自分の上に力強く現われてくる功徳です。そして自分だけではなく、他の人にも世の中全体にも及ぼしていく功徳です。そのほんとうの功徳を伝えることが仏のほんとうの望みなのです。仏の出世の本懐なのです。
(法華経の新しい解釈 全 P56~57から抜粋)
ひと言感想
こんなに力強く現世功徳があることを教えていただくと私などはガゼンやる気になってきます!が、ここで気をつけなければいけないことは最後のところの『自分だけではなく、他の人にも、そして世の中全体にも及ぼしていく』功徳であるということですね。凡夫の私は功徳=自分のもの。と今までは捉えていましたので、これからは『自分だけではなく、他の人にも、そして世の中全体にも及ぼしていく』功徳が現れますようガンバリマス。
じーじ