震災から11年…
テレビでは特集が組まれいますが、私は普通に観ている事が出来ません。
何も奪われずに被害を受けてもいないのに…
あの日、東北にいらした方のお気持ちは想像する事すら難しいです。
まだ大切な人が帰ってこない方も多くいると…
こんな時の正しい言葉を持ち合わせていません🙇♀️
あの日は息子は保育園で娘は部屋の真ん中で楽しそうに腹ばいで遊んでいました。
私は翌日から旅行の予定だった事もあり台所にいました。
普段からよく揺れている家なので震度3でやっと揺れを感じるレベルに麻痺していました。
その私でもびっくりしました。
ただ我が家の被害は3階のトイレの水が漏れたのと、ヤカンの麦茶がこぼれただけでした。
普段からケーブルテレビで海外ドラマを見ていたので、急いでNHKにして震度の確認をしました。
確認しただけでまた海外ドラマにチャンネルを変えて、4時過ぎまで旅行の準備をしていました。
おかしい?と気がついたのは息子を迎えに家を出てから。
地震から1時間以上経つのに外に避難している人…
水道管が壊れたのか水浸しの道路…
保育園に着くと子供達は一ヶ所に集められ、ヘルメットを被った先生達が子供達の頭の上に毛布を広げてこいました。
帰ってテレビを見て愕然としました。
叔母と祖母は宮城県に住んでいたので、直ぐに連絡しましたが繋がらず…
お墓のあった地域が津波にあったニュースに衝撃を受けました。
叔母達の住む地域は山側だった事と家が平屋で、祖母は寝たきりだったので2人は無事なはず…と思ってはいても他県に住む叔父に連絡がつくまでは落ちつきませんでした。
この日旦那は6時間歩いて帰ってきました。
その後しばらくして連絡はつきますが、ガスも電気もこないので庭の塀を壊して庭で煮炊きしていました。
宅配便が送れる様になってから食べ物をたくさん送りました。
物が買えなくなったり、水道水が危ないとなりミルクの為に水を求めて走り回ったり…
落ち着いてから非常持ち出し袋や非常食の準備をしましたが、息子が漁っては勝手に食べて何度発狂したことか…
あの頃、息子がおかしいと色々なところで訴えましたが、誰も取り合ってくれませんでした。
そして忘れた頃のコロナ…
私の印象では震災の比ではないぐらい物が無くなった気がします。
普段から買いだめている方ですが、コロナになり配食をいただいて、こんなには備蓄していない!!と驚きました。
改めて、災害について考え直したいと思っています。
暖かい部屋でテレビを観ながらご飯が食べられる。
温かいお風呂に入り布団で寝られる。
この当たり前がどれ程幸せな事なのか…
この瞬間もこの当たり前を奪われている人がいる…
コメントありがとうございます🙇♀️
コメントを拝見して、「私の文は分かりずらいな…」と思い次回は前回の追加を書ければと思っています🙇♀️