ご訪問いただきありがとうございます♡
ここ数日、何だか私の中で葛藤が起きてるみたい。
そんな感覚を感じています。
言葉にできないもどかしさ?
それとも、言葉にしちゃいけない?
自分でもよくわからないの。
だから、とりあえずブログ書いてみる!笑
文章にした後で、
自分で読み返してみれば何か気づきが起こるかな♪
今日はそんな感じですが、
あとは無意識さんにお任せで書いていきます
いきなりですが、人間は本来自由です。
自分がしたいことをして、
自分の言葉でいいたいことを言って、
そして、その結果を経験して、自分の感覚で感じる。
そのくり返しで自分の人生を創造していく。
自分の人生をどのように生きようとも、
それは自分の自由です。
だから「私はこういう人生を生きたい!」と、
自分が思う人生を生きていい。
でも、そうしたくても、頭ではわかっていても、
できないのがアダルトチルドレンです。
じゃあどうすればいいのでしょうか?
自分の人生なのに、
自分が生きたいように生きられないのには、
必ず原因があります。
その原因を探していくのです。
自己探求とも言えますね。
そして、自分自身と向き合っていきますと、
徐々に思い出していくんですよ。
あ~そう言えば…
母親がヒステリーを起さないように、
いつも気を使っていたなぁとか
あ~そう言えば…
母親のグチの聞き役になっていたけど、
私がグチをこぼしても聞いてくれなかったなぁとかね。
ひとつひとつ思い出していくと、
自分の心の傷トラウマが出てくるわけです。
自分の心に傷を負うような経験をしたから
それがトラウマになるのです。
経験したから記憶として残っている。
その記憶を遡って思い出していくという作業。
この作業が「のた打ち回るほど苦しい!」って、
ブログでも何度も何度もしつこいぐらい書いているから、
きっと「嫌だな~」って思っている方もいるかもしれません
でもね、
思い出すのは苦しい記憶ばかりじゃないんです。
時には嬉しくて泣けちゃうような記憶
そんな記憶も思い出します。
どんなトラウマだったかは覚えてないのですが、
けっこう深いトラウマを思い出した時のことです。
その時もショックで泣きましたね。
やっぱり辛いですから。
それから数日たったある日、
私はふとした瞬間にあることを思い出しました。
それは私が小学校低学年の頃
私が生まれた時の話しを母親から聞かされた時のこと。
たぶんその話しは1度だけ。
だから私はすっかり忘れていました。
私が生まれた時のエピソード
あなたが生まれた時、
看護婦さんに「赤ちゃん五体満足ですか?」って聞いたの。
そしたら看護婦さんが「五体満足の元気な赤ちゃんですよ」って。
それを聞いて無事に生まれて良かった~ってホッとしてね。
そして初めてあなたの顔を見た時にね、
あぁ仏様みたいな顔…仏様だぁって何だか泣けてきてね。
あなたを抱っこしながら、ママ涙が止まらなかったんだ。
深いトラウマをケアして数日後、
なんだか急にふと思い出した「私が生まれた時」の話し。
そう言えば…って思い出した時、私泣きました。
自分と向き合い始めてから、
ツライ記憶しか出てこなかったからよけいにね。
トラウマを思い出した時の涙が苦しみの涙なら、
こちらは嬉しい涙。
それから不思議なことにね、
ひとつトラウマを思い出してケアするたびに、
生まれた時の話しが頭の中に浮かんでくるようになりました。
思い出そうとして思い出すんじゃなくて、
自然と頭の中に浮かんでくる。
無意識さんの成せる業。
無意識さんって優しいよね。
自分と向き合うプロセスの中で、
思い出すのは苦しいことばかりじゃない。
時には嬉しかった記憶、楽しかった記憶
そんなことも思い出すんです。
私が生まれた時の話し
この記憶は私の宝物
もちろんトラウマをケアしたというのもあるけれど、
母親をゆるすには十分だった。
心って尊いね。
無意識さんって尊いね。
苦しい記憶も思い出して
嬉しい記憶も思い出して
本来の純粋な自分を思い出す
これがゴールです。
それではまた♡