このブログは元アダルトチルドレンサバイバーだった私が、
どのようにして重傷アダルトチルドレンから回復し、
「本当の自分」で生きられるようになったのか?

実際に経験したプロセスを余すところなく綴っています。

毒親育ち・アダルトチルドレンと言っても、
育ってきた環境も、心に負った傷の深さも人それぞれ違います。
私の回復への道のりと、あなたの回復への道のりは、
同じような過程を進んでいくとは限りません。

ですが、道なき道を、先の見えない真っ暗なトンネルを、
一歩一歩進んでいくことになると思います。

私の体験談を綴ったこのブログが、
真っ暗なトンネルの中に灯る明かりになって、
ほんの僅かでもあなたの足元を照らすことができれば、
こんなに嬉しいことはありません。

 一人でも多くの方がラクに自由になって、
自分の人生を“本当の自分”で生きられることを切に願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ご訪問いただきありがとうございます♡

 

 

はじめまして、の方もいらっしゃるかもしれませんね。

このブログを見つけてくださってありがとうございます。

 

 

元アダルトチルドレンサバイバーによる

アダルトチルドレン回復への記録を残したくて、

書き始めたブログです。

 

 

ですが、書いているうちに気づきました。

これは単なるアダルトチルドレン回復記録じゃない、と。

 

 

自分自身と向き合い続けてきた14年間は、

アダルトチルドレンからの回復はもちろんのこと、

心の修行(精神修行)でした。

 

 

私が無意識のうちに目指していたものは、

有る限りすべての“しがらみ”から解放されて、

本当の意味での自由になること。

 

 

そして「本来の自分」に戻ることです。

 

 

私たち人間は本来自由なんです。

その“本質”に戻りたかった。

 

 

答えは自分の外にはありません。

答えはすべて自分の中です。

 

 

そして、その答えを見つけられるのは自分だけです。

 

 

あなたの気づきのきっかけになれば幸いです。

 

 

 

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人間は“愛があるフリ”をしている。

 

 

愛があるフリをして、

人を支配しコントロールする。

 

 

愛があるフリをされて、

あたかもそれが愛だと思い込まされて…

 

 

でも、愛なんてどこにもない。

 

 

愛があるフリをして、

人の尊厳を奪う人間が許せない!

 

 

愛がない

愛があるフリをしている

虚しい…

 

 

親にも愛はなかった。

 

 

「この子さえいなければ良いのに」と、

我が子の「命」を否定・拒絶した母親に愛はなくて…

 

 

だったら父親にあったのかと言えば、

私の人生を支配し自分の思うままコントロールしていた…

そんな父親にも愛はなくて…

 

 

高額なビジネススピリチュアルの講座に参加しても、

自分のメンタルを見ていない指導者には話しすら通じなかった。

 

 

私が求めていた愛は、

自分の外側の世界にはないんだと、

いよいよ、本当に、認めた時の、虚しさ…

 

 

皆んな 愛を求めて彷徨っている。

皆んな この苦しみから救われたくて彷徨っている。

 

 

やっと「愛がない」ということを認めた私は、

セミナーや講座といった類のものには参加しなくなりました。

 

 

そうなりますとね、

週末はちゃんと休息がとれるわけです。笑

 

 

私は空いた時間で、

何か新しいことにチャレンジしようと、

梅シロップや梅干しを作ることにしました。

 

 

梅シロップの作り方は簡単で、

煮沸消毒したガラス瓶に、

青梅と氷砂糖を交互に詰めていきます。

 

 

青梅からエキスが出てきて、

少しづつ氷砂糖が溶けていくのですが、

それがキラキラ輝いてうっとりするほど美しい。

 

 

梅干しは追熟させた梅に塩をまぜて、

しばらく寝かせておくのですが、

梅にしわが寄っていく様子が面白くてね。

 

 

氷砂糖が溶けるキラキラ輝く美しさ、

梅にしわが寄っていく面白さ、

それを見ていたらふと気づきました。

 

 

あ、これが本来の私だ。

これが私の感性だ…!

 

 

これを感じたくて私は生まれてきたんだ。

こういう「経験」をするために生まれてきたんだ。

 

 

そう気づきました。

 

 

よく生まれてきた意味を知りたい、

自分は何のために生まれてきたのかを知りたい、

な~んてことを言いますが、

 

 

私はどうやら「感じる」「経験」するために、

この世に生まれてきたらしい♪笑

 

 

でも、過酷な機能不全家族の中で生き延びるために、

感情や感覚をマヒさせてしまったため、

私は「感じられない人」になってしまいました。

 

 

だから思考であれこれ考えるしかなくて。

 

 

でも、本当は…

見たり・聞いたり・触ったりして、

自分の中から込み上げてくるものを感じたかったんですね。

 

 

私は自分が思うよりも、

ずっとずっと頑張って生きてきたのでしょう。

梅仕事をする暇もなかったほどに…

 

 

そんな気付きも得られました。

 

 

ちょうどその頃、

清水の舞台から飛び降りるつもりで参加した講座を最後に、

もうスピリチュアルの講座には参加しません…と、

セラピストの先生に報告しました。

 

 

すると、セラピストの先生がこう言いました。

 

 

「今もまだ自分は足りていないと思いますか?」

 

 

「う~ん…いいえ、自分は足りないとは思いません。」

 

 

「じゃあ、自分はもう十分足りていると思いますか?」

 

 

「う~ん…私は十分足りている…って言葉がしっくりこないな…」

 

 

私はセッション中にもかかわらず、

一人でブツブツと「私は足りている…?」と自問自答を始めました。

 

 

自分はもう十分足りている…ではしっくりこない。

自分はまだ足りない?…いや違う。

 

 

何度も、何度も、ブツブツと自問自答していると、

私の中からブワーッと何かが込み上げてきたのです。

 

 

「先生、今の私は自分は足りているとか、自分は足りないとかではなくて…

私は、この“わたし”に生まれることができて良かったと思っています。」

 

 

私は込み上げてくるものを押さえられずに、

泣きながらセラピストの先生にそう伝えました。

 

 

私は私で良かった。

私はこの人生で良かった。

 

 

私が“自分”という存在と自分の人生

肯定することができた瞬間でした。

 

 

生まれる前から存在を否定され、

生まれてからもやること成すこと否定され、

親から否定され続けた人生でしたから、

これ以上の歓びはありません。

 

 

それまでは、

頭ではわかっていたつもり、

自分を肯定していたつもりだったのですね。

 

 

やっと腑に落ちたという感覚を感じられて涙が出ました。

 

 

自分の人生を肯定できた…って涙を流すほどのことですか?

ちょっとオーバーじゃないですか?

そう思われる方もいらっしゃるでしょう。

 

 

「腑に落ちたという感覚」

これは自分自身と向き合った人にしかわかりません。

 

 

頭でわかっているのと、

本当の意味でわかったということの違いは、

この腑に落ちたかどうかなのです。

 

 

なぜ、こんなにも時間とお金をかけて、

自分自身と向き合ってきたのか?

 

 

それは、自分を救えるのは自分だけだからです。

 

 

私は親から見捨てられた心の捨て子ちゃん

アダルトチルドレンサバイバーです。

 

 

親は私を見捨てたとしても、

私だけは私を見捨てたくなかったのです。

 

 

私までも“わたし”を見捨ててしまったら、

あの時、一人で耐え忍んだ“わたし”が浮かばれないですから。

 

 

だから私は私を見捨てない。

 

 

絶対に救い出す!と。

私が“わたし”を救い出す!と。

 

 

それで気づいたら14年も経っちゃった。笑

 

 

じゃあ、自分を救い出すってどういうことなのかと言えば、

共依存の関係から自由になることですね。

 

 

私たちは、恐怖と罪悪感で支配され、

相手の思うようにコントロールされてしまいます。

 

 

ですから、もう誰にも支配されずに、

自由に自分の人生を生きるためには、

自分が抱えている恐怖と罪悪感をケアする必要があります。

 

 

恐怖と罪悪感で支配コントロールされ、

さらに、怒りと恨みで相手に執着させられてしまいます。

 

 

本当の意味で自由になって、

自分らしく自分の人生を生きるためには、

恐怖と罪悪感、そして怒りや恨みの感情を消化しなければなりません。

 

 

それには時間を要するのです。

 

 

そして、その時間を自分自身に与えてあげるのも、

自分への愛なのです。

 

 

愛は外側にはありません。

 

 

愛は自分の中にあるのです。

 

 

 

To be continued♡