たっつんさん投稿より


老人ホームで20年も生活してる人がいる。

70代前半で脳梗塞を患ったG子さんは、左半身マヒになり、それから認知症も発症。お家での生活が厳しくなり、ホームに入居された。

ご主人はすでに他界しておられ、ご家族の窓口をなさっていた長男さんも先に旅立たれた。今は次男さんが唯一の身寄り。

年に3~4回は面会に来られるがそんなに熱心なほうではない。それでもG子さんにしてみれば、ホームの外の世界との接点は、今や次男さんしかない。

たまにG子さんの人生について勝手に考えてしまうことがある。

脳梗塞を患う前の人生。
その後の人生。つまりホームに入居されてからの20年。

何を想い、どのように過ごしてこられたのか。

家族と離れて暮らすこと。

住み慣れたお家を出ないといけなかったこと。

見ず知らずの人と共同生活を送ること。

他人の世話にならないといけないこと。

今では認知症がかなり進行しているので、G子さんの思いを聞くことはできない。

では入居当初はどうだったのか?

認知症が軽度だった頃は何を思い、ホームで生活しておられたんだろう。

当時のことを知る職員さんはいない。

どの職員さんよりもホームで過ごしてこられた時間が長い。

かなりベテランの職員さんが入職した頃、G子さんは認知症の症状がひどく、そうとう ” やんちゃ ” だったらしい。

いつからか体力も低下し、常に車椅子に乗っている状態になり、寝ている時間も増えるにつれ、今のように穏やかに過ごされるようになられたとのこと。

ぼくはその状態のG子さんしか知らないが、過去の記録や写真の中に20年分のG子さんがいる。

20年は本当に長い。

G子さんはほんとにたくさんの介護職員や、他の入居者さんと関わってこられただろう。

その中に、心をゆだねることができた人はいただろうか。友だちと呼べるような人はいただろうか。

G子さんにとっては、もはやホームが住み慣れたお家なんだろうと思う。

G子さんはこのお家に居心地の良さを感じているだろうか。

” ここでよかった ” と思って頂けているだろうか。

今はただ、起きてご飯とおやつを食べ、たまにリハビリとして関節を動かし、週に2回お風呂に入り、オムツの中にオシッコやウンチをし、テレビの音やCDから流れる音楽を聴き、職員と会話にならない会話をし、常に穏やかでニコニコしながら車椅子に座り、うたた寝し、夜になったらベッドで眠るという生活。

これからもG子さんの人生は続いていく。

G子さんが最期までG子さんらしくいて頂く為に、ぼくたちは何ができるだろう。

今からでもできることはあるはずだ。

82歳の誕生日の写真の中に、当時の介護職員さんに囲まれながら爆笑しているG子さんがいる。

ぼくはそのG子さんを直接見たいと思っている。

https://x.com/tattsun_cw/status/1768788401283809760?s=46&t=4jvZVnF1sz5dFl1f10AV9A




   




G子さんは幸せなのでしょうか?



投稿者のたっつんさんのような心優しい介護士さんにお世話してもらえることは幸せでしょうが…




やはり、下のお世話をしてもらうのは恥ずかしいですし、できれば最期まで、お風呂、トイレ、買い物、食事、お出かけ…など自分ででき日常生活を好きなように送れる人生がいいですニコニコ






そのためには、いつまでも健康でいることが大切ですねビックリマーク



脳梗塞、心筋炎、認知症、骨折…などにならないよう、日々の食事に気をつけたり、体を動かしたり…





うちのお店(健康自然食品、自然化粧品などを取り扱っています)のお客様には、介護関係のお仕事をされている方も多いです。


日々介護施設で入居者さんたちと接していて、自分はいつまでも介護されない健康体でいたいと思われるようで、こだわりの調味料、ミネラル、ビタミン、アミノ酸、コラーゲンなど積極的に購入されていますラブラブ音譜



そういうお話を聞いて、私も栄養をしっかり摂るようになりましたおねがい






   






小倉謙さん投稿より


「認知症」という病気はありません。病名は存在します。

「うつ病」という病気はありません。病名は存在します。

「ADHD」という病気はありません。病名は存在します。

「統合失調症」という病気はありません。病名は存在します。

などとやっていくとあと400近く書き連ねなくてはならないので、この辺にしておきます。

「あるぞ、あるぞ」と言われている「精神疾患(精神障害)」。しかし、これらいずれも、普遍的な診断方法や、原因の特定、疾患のプロセス、病理学的な根拠、科学的な診断基準(除外診断を含む)、高い可能性で治癒に至る療法、治癒基準 など存在しません。

表に現れた状態や行動性をただ分類し、それに名前をつけているだけのことです。

認知症などその典型でしょう。

「あなたは認知症です」と診断された高齢者の多くが、その後どういう風になっていくのか現実を観察してみれば、その診断はおろか病名の存在に遡って、価値のないものというだけでなく、破壊的なものであるということが分かるでしょう。

本人や家族が病名を欲するのも分かりますが、それが本当に因果関係が特定されていて治癒(回復)に向かう道筋があるのならその病名には価値があるのでしょうが、少なくとも精神医学領域における病名の価値など微塵もありません。