【神社はお礼に行くところ】



伊勢神宮を詣でたとき、私たちは、お願いごとはいっさいしないで、「ありがとう」を言い続けていました。

神社というのは、「お祈り」や「お願い」をしに行くところではなく、「感謝」をしに行くところだからです。

そもそも「祈り」の語源は、神の「意」と「宣(の)り」で、「意宣り」。

神の意志を祝うということが、祈りの本質です。

一方「願い」の語源は「ねぎらい」。

つまり、「ありがとうございました」、「おかげさまで」という意味です。

お祈りも、お願いも、本来は「自分の夢や希望をかなえてください」という意味の言葉ではありません。

そうではなく、神仏に対して、私たちがしてもらっていること、生かされていることについて「ありがとう」と感謝を伝えるということ。





このような例があります。 

単品で100億円もの売り上げを誇る、赤福という会社が、伊勢神宮の前にあります。

単一商品でこの売り上げは、世界一だそうです。 

ここの社長さんは、「初詣で」はしないで、代わりに12月31日に「晦日(みそか)詣で」 をするそうです。 

初詣でに行って「今年もいい1年にしてください」と言うのではなく、晦日詣でに行って 「神様。今年も1年、商売をちゃんとやらせてくださって、ありがとうございました」 とお礼を言い続けている社長さん。

おそらく神の祝福を受けて、商売繁盛をしているということなのでしょう。

今の自分に何が足りないか、欲しいのかを言っているときは、「ありがとう」が出てきません。

自分が生かされていることにただ感謝し、手を合わせることで、人生は幸せになるようです。

執着しない、追い求めない人生になると、神様が味方をしてくれるようになる。

そういう構図になっているようなのです。




神社へはお礼に行くのと同時に、12月31日の「師走の大祓式」と6月30日「夏越の祓」は、半年の間に自分についてしまった「罪穢(けが)れ」を祓(はら)う日。

人は知らず知らずに、人に対して嫌なことを言ってしまったり、ちょっとした罪を犯している。

罪といっても大きなものではなく、目の前にゴミが落ちていたら、拾うべきか悩んだすえ、忙しいからと、そのままにしてしまうような場合。

「自分さえよければ」というような、自分に対するちょっとした罪悪感だ。

また、「穢(けが)れ」とは、「気枯れ」のことで、気持ちが枯れてしまうこと。

心がキレイでない状態のこと。

キレイなところに人は集まる。

だからこそ、心の掃除をすることが大事。

この12月31日には、神社には「お礼」を言いに行くこと。

そして、同時に「罪穢れを祓う」ことが必要だ。






小林正観さんの心に響く言葉より…