高校の授業をサボり倒して、ダンスのクラスに通い詰めたのは、劇団四季に入る為、そのオーディションに受かる為。
その年に実験的に設立された『劇団四季アクターズスタジオ』。
高校の卒業式の日が、その入所オーディションだった。
私は卒業式もサボり、オーディションに挑んだ。
初演の『キャッツ』が空前の大ヒット記録をブッ立てた直後と言う事で、受験の倍率は40倍とも、50倍とも言われた。
私は合格し、高校卒業後、最年少で劇団四季アクターズスタジオに入所する。
最初の日、浅利慶太氏が我々に言われた。
「キミ達は『演劇』と言う、最高の遊び、最高の娯楽を職業に選んだ。だから、今日を限りに、他で遊ぶ事は考えるな。」
この言葉は、若い私の脳裏に深く強く、まるで烙印を押し当てられた様に残った。
道がダンスに変わり、ダンスの道を満身創痍で突っ走る事になった私だが、度々、この浅利氏の言葉が頭に浮かんだものだ。
ニューヨークで、金も無く、朝から晩までスタジオに籠り、踊る事のみに集中していた。
棚ぼた的に、スカラーの座を射止めた私は、レッスンが全てタダ。スタジオに籠る事こそが、一番金が掛からない時間の過ごし方だったからだ。
そんな、他に遊ぶ金も無く、スタジオに籠る日々の中、浅利氏のこの言葉がちょくちょく頭に浮かんだ。
『種類は違えど、ダンスも立派な娯楽だ!俺は今、他に遊ぶ事を考えちゃダメだ!!』
『ニューヨーク物語』にも書いた様に、私が、役者として、演劇の世界に戻る事はなかったが、今、多くのミュージカルの舞台に、振付師として携わる事が出来るのも、私の歴史の中に、浅利慶太氏との出会いがあったればこそだと、そう思う。
劇団四季の創立者であり、偉大な演劇人であり、偉大な演出家であった浅利慶太氏。
そんな浅利慶太氏と関われた瞬間が、私の人生にある事を、光栄に、そして幸せに思う。
浅利先生!!
長い間、日本の演劇界をリードされ、日本にミュージカルを定着化され、数々の演劇人を育て上げ、輝かしい偉業を成されて来られた事・・・
心から敬服、感服、尊敬致しております!!
お疲れ様で御座いました。
どうぞ、安らかにお休み下さい。
合掌!!