「ねぇ、医者に診て貰いましょう!」
「大丈夫…だよ…。それに…そんな金…無いもん…。」
「でも…そんな状態で…」
「イヤだ…行かない…」
私にはビザが無い。
日本を出る際にかけたその場凌ぎの保険も、とっくの昔に保障期限が切れている。
なんの保障もなく、医療費の全額を自己負担で賄う金など無い。
帰国に向けての準備で、航空券やら何やらと、纏まった出費があったばかりだ。医者にかかる金など、逆立ちしても出て来ない。
「この週末は、私もスコットもシャザームの仕事でニューヨークに2日も居ないのよ!?」
ジョディーの声が部屋中に響いた。
「分かってるよ…大人しく寝てるから…大丈夫…」
「こんな状態の貴方を放って行ける訳ないでしょう!」
先程からジョディーは、私の枕元に座り、私に医者に行く様に必死の説得を試みている。
それに対し、私は『大丈夫』の一点張りだった。
「ねぇカズミ?もう3日目なのよ?」
そう…
高熱は全く下がらず、この3日3晩私を苦しめ続けていた。
「それに…この3日の間、貴方…何も食べてないのよ?」
「…さっき…プリン食べたよ…」
ジョディーが大きく溜め息をつく。
「ええ、そうね…。でも、そのプリンは貴方の胃袋に到達したか?しないか?の内に全部吐き出されてしまったけど…?」
私の身体は食べ物を全く受け付けず、決死の覚悟で何か口にしても、2分と持たずに吐き気の権化と化した。
「アスピリンも全然効き目がないし…このままじゃ死んじゃうわ。」
喉の痛みはピークに達しており、これもまた、食事の意欲を妨げた。
「ジョディー…ごめん…眠らせて…」
ジョディーはまた、大きく溜め息をつき、部屋から出て行った。
4日目になると…
私はトイレに行く為に這って行かねばならなくなった…。
高熱、そして何も食べていない為に身体に全く力が入らなくなっていた。
転がり落ちる様にベッドから抜け出し、床に倒れ、そこで一息つく。
そして力を振り絞って4つ這いになる。
そしてノッソリ…ノッソリ…と、身を引き摺る様にトイレまで這って行く…。
ジョディーは、せめて自分かスコットのどちらかが週末の仕事をキャンセル出来ないか?と手を尽くしてくれたが、残念ながら徒労に終わった。
「カズシに来て貰いましょう!」
「うん…」
カズシが留守番に来てくれる事になり、その週末、ジョディーとスコットは仕事に出掛けて行った。
「医者に行きたくないって?」
カズシが言った。
「行きたくないんじゃないよ…行けないんだ…」
「カズミ、金なら…」
「やだ…」
「まだ何も言ってないよ。」
「借りない…」
「でもさ…」
「ごめん…眠らせて…」
翌日、急用が出来てしまったカズシに代わり、友人のAが来る。
Aは、私がニューヨークに到着した際に空港まで出迎えに来てくれた友人である。
彼女は一年前にニューヨーク留学を終えて帰国していたが、この時期にたまたま、妹さんを連れて1週間の予定で遊びに来ていた。
「ちょっと!こんな蒸し熱い所で寝てんの!?」
Aは呆れ顔で言った。
「隣のリビングで寝ればいいのに!ジョディー居ないんでしょ?」
「動けない…」
Aは暫し黙り込み、何やら考えている。
「今日は、あたし達のホテルの部屋においで!」
「え…?」
「こんな熱い所で寝てたら、良くないよ。これじゃ、絶対良くない!」
Aは、明日ジョディーが戻って来るまで、自分達のホテルで寝ろと言い張った。
Aは、半ば強制的に私をベッドから引っ剥がし、タクシーに押し込んだ。
そして、彼女達が滞在中のウイークリー・ペイ式のマンションホテルに連れて来てくれた。
リビングとベッドルーム、そして簡単な調理が出来る小さなキッチン。
陽当たりのいい部屋で、気持ちが良かった。
Aは彼女の妹に事情を説明し、私は彼女に詫びを入れる。
「カズミはここで寝て。」
Aがベッドルームのドアを開ける。
「え…?俺…こっちのソファー…」
「病人が何言ってんの!寝る前になんか食べる?食べられる?」
私は首を横に振った。
「じゃあ早く横になった方がいいよ。」
「ありがとう…。迷惑かけて…ごめん…。」
「大丈夫よ。」
マンハッタンには、こうした形態のコンドミニアムが多くあった。
日本で言うところのウイークリー・マンションである。
部屋の良し悪しは料金によって、ピンからキリまであるが、Aが滞在しているこのコンドミニアムは、ステップスに程近いアップタウンにあり、非常に快適な部屋であった。
「あ…涼しい…」
空調の効いたベッドルームは非常に心地良く、私は思わず呟く。
「さぁ!さぁ!早く横になった!なった!」
私はAに追い立てられる様にベッドに潜り込む。
「あたし、妹をアチコチ案内するんで出掛けるけど、大丈夫?」
「うん。行ってらっしゃい。」
「じゃ、ゆっくり休んでね!」
「うん。ありがとう。」
Aがベッドルームから出て行った。
熱は相変わらずだし、喉の痛みは、声を出すのもシンドイくらいだったが、何やら急激に睡魔に襲われた私はそのまま深い眠りに就いた。
この2年…
ニューヨークに到着してから今日までの、ピンッと張った糸がプツリと切れてしまった。
様々な幸せがあったが、それ以上に、神経が千切れそうなストレスがあった2年である。
恐らく私の身体は、とうの昔に限界を超えていたのだろう。
目的を遂げ、周囲からの愛情に触れ、得たものの大きさを教えられ、私の体内に溜まっていた毒素が一気に吹き出したかの様である。
深い眠りに就いた私は、そのまま翌朝まで、寝返りもうたず、ピクリとも動かなかった。