ニューヨーク物語 102 | 鬼ですけど…それが何か?

鬼ですけど…それが何か?

振付師KAZUMI-BOYのブログ

劇場の楽屋で、私は化粧前に座り、自分の足…


ダニエルから貰った…既に爪先の破れたシューズをまた、見つめていた。


化粧を済ませ、衣装を身に付け、既に身仕度は完了している。



『この数週間のリハーサル、そして前回の舞台の成果、その全てが今夜の本番で結実します様に!』



あの…


若き日の誠実な緊張感を、私は今も尚、ハッキリと覚えている。


あの日あの時から数えて、私は筆舌し難い緊張感を、幾度も経験して来たが、このニューヨークでの体験ほど、神聖とも言える緊張感を味わった事は無い。



経験の浅い若輩者だからこそ、全身全霊をかけて打ち込める。


後先を考えない集中力。


一点の迷いもない強さ。


単純で、怖さを知らない強さ。



あの時の私には、それが有り…


そして…


それしか無かった。



「KAZUMI!お客様よ!」


誰かが不意に、私の静寂な緊張を破った。


『客?』


私は立ち上がった。


『あ…そうか!お母さんだ!』


私は、初回の公演から約2週間と言うもの、母がニューヨークに来る事をすっかり忘れていた。


母は昨日だか、今日だか、ニューヨークに到着していたのだ。


私は、今日の公演を観に来てくれる仲のいい友人に頼み、母を劇場まで連れて来て貰う算段をつけていたのだった。



私は楽屋の外の通路に出た。


楽屋見舞いに訪れた人達で、楽屋前の狭い通路はごった返していた。


私が、思う様に身動き取れずに居ると…


「KAZUMI-BOY!」


と、聞き覚えのある声が私を呼んだ。


私が母の引率を頼んだ友人のKである。


彼は180㎝を越す長身で、彼の頭は人混みの中から一つ上に飛び出していた。


私は人混みを掻き分けながら、彼の方へと進んで行った。


Kが自分の脇辺りを下向きに指差すのが見えた。


最後の人の壁が割れると、彼が指差す場所に懐かしい母の姿が現れた。



母の姿を見るのは、ニューヨークに旅立ったあの日、成田空港以来である。


とは言え、ほんの1年半程しか経っていないのだが、何故か…


まるで10年余りも会っていなかったかの様な錯覚に捕らわれた。


そしてその錯覚は、私だけではなく、母をも同じ様に捕らえていたのである。



そして気がつくと私達は…


無言のまま抱き合って涙を溢していた。



この時の涙が何なのか…


私には今もって、上手く説明する事が出来ない。



母には、殆んど毎日の様に手紙を書いて、自分の近況を伝えていたし、写真もマメに送っていた。


離れていても、お互いの様子は分かっていた筈である。


しかし、何やらお互いに感無量になってしまったのだろう。



ほんの一瞬…


私達の周りから、一切の音が消えた。



なんの言葉も無く、ただ抱き合って涙を溢す。


その光景にKが貰い泣きをしていた。



私は母の身体を離すと…


「ありがとう、K!お母さんを客席まで連れて行って。」


と、Kに頼む。


「頑張ってね!」


母が涙をぬぐいながら微笑んだ。


この時、母の胸中に去来する思いが私にも伝わった。

「うん。」



私はそう答えると、母とKを見送り楽屋に戻った。



再び化粧前に座り、頬に出来た涙の跡をファンデーションで消す。



さぁ…


私は私の目的を果たさなければ!



私がこのニューヨークに、やって来た目的を完了させるのだから。



「5分前だ。スタンバイ!」


舞台スタッフの声が響いた。