11月21日 Summerset County VO-TECH Bridgewater(サマーセットカウンティー ボーテック ブリッジウォーター)にて、一回目の公演が行われた。
ステージ上での景色、舞台裏の景色、そして楽屋の光景はよく覚えている。
しかし、このシアターがどの辺りに位置し、どうやってそこに向かったのか?
また、終演後に私はどのような気持ちだったのか?
劇場の外側の事、本番以外の時間と感情等に関しては、一切の記憶がない。
本番中の景色だけが、まるでシャボン玉に閉じ込められた異空間の様に、私の脳裏に貼り付いているのみである。
まず覚えているのは、開演直前に明かりの消えた暗い舞台袖で、必死に緊張と闘う私自身である。
ステージに設置された照明機材から伸びた、何本ものケーブルが巨大な樹木の根の様に、黒々と床を這い、私はそれをじっと、思い詰めた気持ちで見つめている。
耳に届いて来るのは、会場のざわめき。
そして、ダグ達のたわいのない会話の端々。
そして、のたうつ様に伸びたケーブルから視線を移すと、自分の足が見える。
黒いジャズダンスシューズ。
ダニエルがくれたシューズである。
ある日、唐突にダニエルがくれたシューズだ。
「カズミ、オマエこれ履けるか?」
手渡されたシューズはまだ、真新しかった。
私はその場でそれを履いてみる。
「うん。丁度いいよ。ピッタリだ!」
「じゃあオマエにやるよ。」
私とダニエルの足のサイズは同じである事を、私はその時はじめて知った。
「でもコレ…まだ新しいシューズでしょ?」
「ああ!いいと思って買ったんだが、実際に履いてみると俺にはどうもな…しっくり来ない。オマエが履いて気に入れば使えよ。」
気に入らない訳がなかった。
師と仰ぐ人から貰った物…
しかも、ダンスシューズである。
「履くよ。ありがとう!」
数日前、衣装付きの通し稽古の際、ダニエルは私がこのシューズを履いている事に気がついた。
「それ履いて本番を踊るのか?」
「うん!」
ダニエルが黙って私の頭をクシャクシャと撫でた。
私は暗い舞台袖で、このシューズを見つめた。
実は既に、両方の爪先の親指部分に小さな穴が開いてしまっている。
リハーサルを繰り返す内に、破けてしまっていたのである。
『大丈夫!黒い靴下履いてりゃ分からないさ!』
私はどうしても、このシューズを履いて本番を踊りたかった。
『Break your leg!』
先程、客席に向かう際にダニエルが、そう声を掛けてくれた。
足をぶっ壊せ!
つまり、足がぶっ壊れる程に思いっきり踊って来い!と言う意味である。
「あはは…足の前に靴がぶっ壊れてら。」
私が独り言を呟いたその時…
本ベルが場内に鳴り響いた。
顔を上げて舞台を見た。
まだ照明のつかない暗いステージ。
そして、オープニングの音がかかる…。
例のスパニッシュ系の楽曲、私が最後までカウント取りに苦労した曲である。
半ば、嫌いになりかけていたこの曲が、心強い味方である様に思えた。
「さ!行くぞ!」
一緒に出るダグが、ポンッと私の肩を叩く。
私は、一気に明るくなったステージへと出て行った。
軽快に、しかし大人っぽいリズムが、ステージ内のモニターから鳴り響く。
ベースにあるドラムの音が、私の腹の奥を揺さぶった。
反対側の袖からは、数人の女性達が出てくる。
私はその中の一人、C・Cと目が合った。
C・C(シーシー)と言うのは彼女の名前の頭文字を取った愛称である。
キャロリン・キャンベル。
キャストの中で、最もパワフルなダンスを踊る姉御的な存在のダンサーである。
このオープニングナンバーは、男女の駆け引きをテーマにしたナンバーで、男女共に、お互いがお互いを意識しつつも、決して自らアプローチはしない、と言うプライドを張り合う様子や、そうかと思えば相手を誘っているかの様な思わせ振りな態度や表情が繰り返される。
C・Cは私を、獲物を威嚇する蛇の様な目で私を睨み付けた。
私は口の端でニヤリと笑う。
そして、片眉をピクリと上げると別の女性に目を逸らした。
フンッと毒づくC・C…
と、その時!
思わぬ事態が起きた!
「!?」
皆一瞬、ステージ上で身体を強張らせた。
音が…
音がプツリと途絶え、ステージ上にいきなり静寂が訪れたのである。
私達は動揺しつつも、音の回復を願いながら、暫し無音の中で踊り続けた。
しかし、音は帰っては来なかった。
音響システムにトラブルが生じてしまったのである…。