チャイナタウンのオフィスに着いた私達は、プロデューサーの女性と面会する。
彼女の年格好は50代手前、黒ぶちの愛想の無い眼鏡に、これまた愛想の無い表情。
会見の間、彼女は一度も私達に笑顔を見せなかった…と言うか…私達は最後まで彼女の笑顔を見る事は無かったのだが。
彼女は、今回のチャリティーツアーの大まかな概要と、ツアースケジュール、台湾から来る出演者について、面白い程に無愛想に語った。
ワシントンDCに、ボストンやミネアポリス等々を回り、正月にはニューヨークでニューイヤーを兼ねた公演、そしてツアーラストはロスへ飛ぶと言う行程だった。
私達は、アメリカ内の幾つかの主要都市を巡る事が無上に嬉しく、オフィスを出た後、祝杯をあげた程にワクワクしていた。
ショーには、何人かの台湾の有名人が出演するとの事で、メインのアイリーン(本国でのフルネームの呼び名は忘れてしまった!)を中心に、歌手や俳優が集まってのバラエティーショー。
分かり易く例えるならば、NHKでよくやっている、何人かの歌手を集め『今日は此処、〇〇県の〇〇文化センターからお贈り致しております!』的な番組、アレである。
アイリーンの30分強のショーをメインに、他の歌手の歌や俳優達に寄る短い芝居などで構成された歌謡ショーと言う事だ。
アイリーンのショーは既に出来上がっていて、本国でも幾度か過去に上演された物だった。
私達はそのショーのビデオテープを渡され、本国のダンサー達の動きをそっくりそのまま覚える必要があった。
彼女のショーの中、4~5曲は踊ったろうか?
ビデオデッキを持っているのはSちゃんだけだったので、私達はSちゃんのアパートに集まり、振付を覚えた。
そして、もう1人の歌手サンドラ(こちらも本国での呼び名は覚えていない)のバックダンサーを務めたが、こちらは私が振付を担当した。
思えば、これが私の生涯初の振付だった。
こうして、暫くは連日、私達4人のみのリハーサルを繰り返した。
そして、数日後、ニューヨーク入りした出演者御一行と対面。
顔合わせ、そして合同でのリハーサル、衣装合わせ…等々で気忙しい毎日が過ぎて行った。
そして、ツアー出発の日はあっという間にやって来た。