翌日、一睡も出来ないまま会場に向かった私は、いつも通りに(いや、いつもよりもテンションは高かったかも知れない)、ワークショップをこなした。
ラストのスケジュールを夜8時に終え、私はみんなへの挨拶もそこそこ、後のケアを全てI氏に任せ、会場を後にした。
ワークショップの途中、母からは何の連絡も無かった。
父はまだ生きている…と言う事だ。
新幹線に乗り込んだ私は何も考えなかった。
祈りもしなかったし、願いもしなかった。
ここで何かを祈る、願うなどと、そんなムシのいい事は出来よう筈もない。
ただ、新幹線の窓から、暗い景色を見るとはなしに見つめる事しかなかった。
東京に着き、一路病院へと急ぐ。
病院に到着した頃には、10時をとっくに過ぎていた。
最初に母と電話で話してから、24時間を過ぎていた。
病室のある階に上がると、消灯された暗いロビーのソファーに、母が一人で座っていた。
母は、勝手に家を出た身である。
父方の親族は、母が病室に入る事を許さなかったのだ。
『こんな時に!』
私は憤りを感じたが、今は親族相手に喧嘩を吹っ掛けている場合でもなく、ましてや、そんな立場に自分はいない事を分かっていた。
病室に入る。
父の昏睡状態は続いていた。
私はベッド脇に腰を降ろすと、父の顔を覗き込んだ。
酸素マスクの下で、父は息苦しそうに、か細い呼吸をしていた。
『まだ余談は許さない状態だけどね、取り敢えずは乗り越えたわ。』
はとこが言った。
『そう…。』
私はそう答えただけで、後は言葉が無かった。
何とも言えない、説明し難い感情に押し潰されそうで、言葉など見つからなかったのである。
父が持ち堪えた事に対する喜び、父に対して詫びたい気持ち、親族達に対する憤りと恥ずかしさ、はとこに対する感謝…
諸々の感情が交錯し、頭も心も整理がつかなかった。
父は心臓半分の機能を失ったが、その後、死の淵から生還した。
私は、足繁く病院に通った。
しかし、その間、私は一度も父に謝らなかった。
あの時の自分の決断を、否定したくなかった訳ではない。
今後も、こうした事が現実に起こるのだとするならば、謝るのは最後の時にしよう…。
そう思ったからである。
(この時、私は25歳くらいだった筈で、既に振付師として仕事をしていたと思う。)
そして父は、この最初の発作から、今年亡くなるまでの約20年間、オンボロな心臓を抱えながら人生を歩んだ。
その間、何度も入退院を繰り返し、その度に私は出来る限り病院に通った。
『死に目に会えないかも知れない』
と言う事実を身を持って知ったからである。
事実、私は父の死に目には会えなかった…。
父が息を引き取った時、私はやはり、声を張り上げながらクラスで教えていたのである。
クラス終了後、携帯電話にメッセージが残されており、再生してみると、叔母からの父の死を伝えるメッセージだったのである。
私は何故か泣かなかった。
泣けなかった…のではない。
泣くと言う感情が沸き起こらなかったのである。
実感が湧かなかった…と言う事とも違った。
父はペースメーカーを入れていた為、病院で病理解剖される事になり、すぐに父に会う事も叶わなかった。
病理解剖の承諾は叔母がした。
父が亡くなったのが土曜日だった為、解剖は月曜日の朝に行われる…と言う事で、私は解剖が終わる月曜日の昼まで、父に会う事が出来なかった。
解剖が終わるまで、親族と言えど、誰も会えないとの事だ。
私は父に対面する事もないまま、葬儀の準備をする事となったが、その間もクラスは休まなかった。
よく考えれば、可笑しな話である。
宝塚の舞台稽古やら、本番初日にはクラスを休むクセに、自分の父が死んだ時には、休まないのだ。
『自分の父親よりも、他人を選ぶのね!』
母の金切り声が思い出される…。
自分の父親よりも、仕事を選んだ…と言って欲しい(苦笑)。
私は初めて喪主を務めた。
私は、ここでも泣かなかった。
何故か晴れ晴れとしており、笑顔さえこぼれた。
父に対して、その人生を全うした事への誇らしさ、或いは尊敬の念、オンボロな心臓への煩わしさからの解放を祝う気持ちの方が強かった。
父の死に顔を見つめ、初めて謝った。
『決して後悔しない人生を歩むから、勘弁して下さいね…。』
と。
父の遺骨を胸に抱いた時、私は人の人生の重みを体感した様な気がした。
その人生の最後を看取る事は出来なかったが、見送る事は出来たのだから、私は嬉しく思う。
あの時…
ホテルの私の部屋にやって来た先祖は、私のこうした感情を理解してくれているだろうか?
いや…
理解してくれなくても、私は構わない。
母の死に目にも会えないかも知れないが、私はそれでもいい。
何故なら、私にしか成し得ない事を望んでくれる人達が、居るからである。
そこに笑顔があるなら、私はそれでいいと思っている。
恥知らずな考え方かも知れない。
しかし、私はこんな時にこそ鬼になる!
鬼ですけど…それが何か?
《終わり》